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【報告】文学者と近代の超克(1)——横光利一

2011.12.09 齋藤希史, 小松原孝文, 近代東アジアのエクリチュールと思考

2011年10月28日(金)、金泰暻氏(高麗大学)、位田将司氏(早稲田大学)によるワークショップ「文学者と近代の超克(1)——横光利一」が開催された。

 理念としての「近代の超克」は、近代の国民国家体制とは異なるものを志向していたと考えられるだろう。では、その先にしばしば呼び出された「アジア」とは、いかなるものであったのか。そのことを金氏は、横光利一の長編小説『旅愁』に書き込まれた高有明と南という二人の人物を手がかりに検討する。『旅愁』は、「西洋派」の久慈と「日本派」の矢代という二人の人物を中心に物語が展開するが、ノートルダムを訪れた夜も、二人の間には「愛国心」をめぐって議論が繰り広げられる。久慈は「フランス」革命ではじめてつくられた「近代」国民国家こそ「合理」的な存在であり、それに向かう「愛国心」を「心の対象となるべき精神」として肯定した。それに対して矢代は、「愛国心」を「合理の愛国心だの非合理の愛国心だのって区別」する必要のない普遍的なものとして、また古いも新しいもない没歴史的なものとして考えるのである。
 しかし、同じ場にいた高有明は、全く違う捉え方をする。日本の軍事支配が行われている「支那」からフランスに留学している知識人の高有明は、「支那の一般の人間」にとって「愛国心」は「必要のないこと」であり、それゆえ中国には「愛国心というものがない」と明言する。ここに示されるのは、当時の中国が、ウェストファリア条約でヨーロッパが確立した国際法に規定された主権国家ではないということである。つまり、ここでいうナショナリズムは、矢代の言うように「あるからある」没歴史的なものでもなければ、久慈の考えるような「合理」的な意思のもとに組織されるものでもない。「愛国心」は「近代」国民国家の戦争という「非合理」をともなわない限り現れないということを高有明は示しているのである。それは国際法上の戦争ではないという論理で、事実上の戦争を「事変」という名で行ってきた日中戦争への「皮肉」ともいえるだろう。
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 また、矢代はベルリン・オリンピックのマラソンのフィルムを伝達するよう依頼されたこともあり、シベリヤ鉄道を経由して帰国を急ぐことになる。この長い日程を共にするのが、「南という人の好い貿易商人」である。「日本人はあなたとわたしとたった二人ですよ。」と過剰に「日本人」を強調する「南」は、日本語の「ミナミ」なのかのか、それとも朝鮮の呼び方である「ナム」なのかはっきりしない。このように「わたし」でありながら「わたし」でなく、「あなた」でありながら「あなた」でない存在との遭遇は、矢代に躊躇いを感じさせるのである。
 しかも、この「南」という人も、矢代同様にマラソンのフィルムの伝達を依頼されており、矢代は図らずも彼と「競争」を演じることになる。「南」という名は、ベルリン・オリンピックのマラソンで優勝した孫(ソン)基(ギ)禎(ジョン)(植民地「朝鮮」の出身で日本代表の一員として参加)とともにオリンピックに参加して、銅メダルを獲得した南(ナム)昇(スン)龍(リョン)という人物を想起させるが、「マラソン」と「南」が隣接する物語時間及び場面に限って、「競争」を嫌う矢代の姿が集中的に顕れることは、発展段階説的な「競り合い」への異議申し立てを可能にする他者として、「朝鮮」の人々を考えているようにも見える。横光が植民地の問題へどれほど自覚的であったかについては疑問が残るが、このような「旅愁」の言説は、普遍と特殊、先進と後進、中心と周縁といった二分法的な世界認識が支配-被支配の関係を正当化しているのではないか、という鋭い問いを作者自身にも投げ返しているのである。
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 つづいてディスカッサントの位田氏より、いくつかの質問が出された。金氏の報告では、二分法的な世界認識から抜け出る場として上海や朝鮮が書き込まれていることを問題にし、抑圧していた第三項が別の読解の途を拓いていることを指摘している。しかし、そのような近代国家を崩す試みは、一方で国家を超えるような同時代の共栄圏の思想にもつながるのではないか。それに対して金氏は、横光は「日本」と「ヨーロッパ」の対立を基軸に思考しており、「アジア」にどれほど意識を向けていたかは疑問が残るとした。しかし、それにしても無意識的にか、そのような第三項的な読みの可能性がテクストに書き込まれていることが重要なのではないかと強調した。
 また、ここでは取り上げられなかった建築に問題についても質問が出された。それに対して金氏は、次のように応答した。矢代は親ともども建築関係の仕事に関わっている。テクストにおいて大きなウェイトを占めるノートルダムのくだりでは、通常ゴシックの代表として垂直方向の建築としてとらえられるものが、『旅愁』では水平的に捉えられている。しかも、それを日本の俳句や生花との類似で考えるのである。これは同時代のタウトのような、日本と西洋の建築を二項対立的に捉えようとする言説とは一線を画すものであるといえるだろう。しかし、このような攪乱は、小説の後半では再び二項対立へと回収されるようである。西洋の技術に基づくトンネルと伊勢の大鳥居とが、後半には対比的に描かれるのである。こうした二律背反した記述の背景には、執筆当時の日米開戦という歴史的な問題が影響しているのではないかと金氏は説明した。他にも、物語時間が日中戦争前に設定されていることや、金史良の小説との連関など、いくつかの論点が提出された。
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(文責:小松原孝文)

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