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【報告】UTCPシンポジウム「脱原発シナリオをアセスメントする」

2011.11.30 └イベント報告, 石垣勝, 科学技術と社会

 2011年10月2日、東京大学駒場Ⅰキャンパス18号館1階ホールにおいて、UTCP「科学技術と社会」プログラム主催によるシンポジウム『脱原発シナリオをアセスメントする』が開催された。

 当シンポジウム開催の目的は、東日本大震災および福島第1原発事故によって日本の原子力政策の先行きが不透明になっている現状を受け、これまでの原子力利用の妥当性について検証するとともに、未来に向けた「脱原発シナリオをアセスメントする」ことにあった。ただし、このシンポジウムにおいて脱原発に向けた統一的コンセンサスを形成しようと考えたわけではなく、むしろ、ここでの議論が公正かつ民主的な原子力政策論議を展開してゆくための一助となることを望むものであった。
 この目的に向けてシンポジウム企画者は、「脱原発派」だけでなく、これまで原発推進を主唱してきた方々にも等しく議論にご参加いただこうと登壇依頼の連絡を重ねた。が、けっきょく後者の方々から色よいお返事をいただくことは叶わなかった。時節柄、「推進派」と呼ばれる人たちが表だった形で発言することが困難な状況にある。ご参加いただいても、発言内容が限定されてしまい思うように論じ合えない現状を考えると仕方がなかったのかもしれない。
 ともあれ、ご登壇を承諾くださったのは、いずれも以前から脱原発派の論客として著名な方々4名ということになった。

 パネリストと各パネル発表の題目は、登壇順に以下の通りである(敬称略)。
井野博満『材料劣化・設計不備・立地不適などの技術的観点からみた危ない原発』
室田 武『温暖化をめぐるワインバーグの亡霊』
大林ミカ『持続可能なエネルギー社会の実現』
吉岡 斉『脱原発にロードマップは必要なのか、必要でないのか』


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 井野博満先生は、東京大学と法政大学で教鞭を執られた後に退官され、現在は東京大学名誉教授の称号をお持ちの金属材料物性を専門にされている工学者である。今回は、ご自身の著『福島原発事故はなぜ起きたか』(藤原書店、2011年)や『徹底検証 21世紀の全技術』(藤原書店、2010年)、それに岩波書店の『科学 2011年7月号』に寄稿された「老朽化する原発―特に圧力容器の照射脆化について」などに依拠した議論を展開された。
 その大前提となっているのは、本来的に「原発は全て危険だ」ということである。なかでも早急に廃炉にすべき「非常に危ない原発」がある。それは、老朽化した原発、設計不備の疑いのある原発、地震によって損傷している可能性のある原発、それに、地震や津波による被害を蒙る可能性の高い立地点に建てられた原発である。この主張を出発点として、原発部材の劣化についてお話しされた。
 原発部材の劣化は、経年による疲労や酸化反応による腐食があるが、究極的な過酷事故に繋がる危険性が最も高いのは、中性子による圧力容器の照射脆化だという。
 これまで原発の寿命は30~40年程度と想定されてきたが、現在は、原子力安全保安院さえ承認すれば最長で60年まで運用可能となっている。原発の安全性を監視すべきはずの保安院が、原発の老朽化にともなう材料劣化による危険性を軽視しているのだ。そうした危険性の軽視は、現在おこなわれている原発のストレステストについても言えることだ。このストレステストは、コンピュータ・シミュレーションによるシステム検証が中心となっている。個々の原発の劣化状況を把握するには、実機を使った検証が不可欠であるにもかかわらず、である。こうした危険性を過小視する傾向は、是正されなければならない。以上が、井野先生が強調されたことである。
 それ以外にも、さまざまな資料や図表を使って、日本においては、僅かな工夫でピーク電力を下げることが可能であること、そして、原発なしでも十分な電力供給量があることを指摘された。他方、CO₂抑制のための環境政策は予防原則の観点から必要と思われると話された後に、近年の温暖化防止キャンペーンの中で「ダーティな原発」が将来的に期待できる「クリーンエネルギー」として正当化されていることに言及し、強い懸念を示された。
 とにかく、原発の存廃は、経済成長を一義的とするような国のエネルギー政策の帰結として論じるのではなく、何よりもまず「生命の安全を守る」という観点から決めるべきだ。そうした意味で、原発は生命を脅かす存在であり、エネルギー需要にかかわらず捨て去るべし。その原発廃止を前提として、エネルギー消費の削減を実現することが肝要だ、と締め括られた。


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 次に登壇された室田武先生は、一橋大学を退官された後に同志社大学に移られた経済学者である。室田先生の講演は、『新版 原子力の経済学』(日本評論社、1986年)や『生活経済政策 2011年8月号No.175』(生活経済政策研究所)に掲載された「電力の地域独占を廃して脱原発を―ワインバーグの温暖化脅威説を超えて」における議論を基に展開された。
 近年の日本における一次エネルギー供給全体に占める原子力発電の割合は1割程度に過ぎないので、原発を全廃しても日本経済が目立って停滞することはない。ただし、電力のみでみた場合、その約3割を原発が担っている。そうした事情を考慮すると、脱原発に向けた電力供給システムの構築は今後の大きな課題となる。が、ここで、脱原発を阻む主因となるのが、9電力会社(+沖縄電力)による電力事業の地域独占である。それゆえ、まず、この地域独占システムを解体すべきだ、という主張をされた。
 原発は、ウランの採掘から高レベル放射性廃棄物の長期保管に要する費用までを考慮に入れると、(水力や火力発電と比較して)決して安価な発電方法ではない。にもかかわらず、電力の地域独占が放置されているため、電力会社は高額の費用を消費者から電気料金として徴収し、原発を建造すればするほど後続の原発建設のための資金調達を確実にすることができる。それは、原発の推進を前提とした「総括原価方式」という電気料金算出の絡繰りがあるからだ、という。
 この方式では:電気料金=(適正原価+適正報酬)÷販売予定電力量
として計算される。ここでいう適正原価は、通常の競争企業による原価と同様である。これに対し適正報酬は、レートベース(=電気事業固定資産、建設中資産、装荷中および加工中等核燃料、特定投資、運転資本、繰延資産などの合計)の一定割合として算出される。つまり、この方式で計算すると、レートベースが巨額なほど適正報酬が増額されるのである。
 運転中の原発は定格出力を維持し続ける必要があるので、需要が減少する夜間に余剰電力が発生する。この余剰分を消費する目的で発電向けの揚水機を稼働させる。が、この揚水発電施設の建設や運転管理にかかる巨額の費用も、電気事業固定資産や建設中資産としてレートベースに算入される。原発の場合、更にこのレートベースに、核燃料の加工や再処理に要する莫大な費用も含まれている。
 日本では、電力の地域独占が放置されているので、このように決して安価ではない原子力発電を優遇するような電力事業が跋扈することになる。
 他方、原発の維持・普及の理由として、温暖化防止に対する有効性が挙げられるようになっているが、IPCCなどによる一方的な地球温暖化説に囚われていると望ましいエネルギー政策を施行できない。脱原発を目指して、まずは、電力を自由化すべきである。以上が、室田先生が強調されたことだ。


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 大林ミカ氏は、イギリス大使館勤務、環境エネルギー政策研究所(ISEP)設立などに関わった後、国際再生可能エネルギー機関(IRENA)のシナリオ&政策地域マネージャーとしてアブダビ(アラブ首長国連邦)に在住、東日本大震災および福島第1原発事故を契機として帰国を決意され、今夏から「自然エネルギー財団」に勤務されている環境・エネルギー政策の実務家である。
 今回の講演では、多くの写真、それにグリーンピースの報告やIPCC第4次報告書などに依拠した図表・文献などを駆使し、まず、地球温暖化の現状やその見通しについてお話しされた。
 ここでは、産業革命前の状態を基準として、気温の上昇を2℃以内に抑える必要がある。いっぽうで、ピーク・オイルについての見解はさまざまだが、いずれ石油は供給不足となる。そのような温暖化とピーク・オイル両問題の文脈において、原発がCO₂を排出しない将来的に最も期待できるクリーンエネルギーとして語られるようになっている。しかし、原発は、核廃棄物の処分や廃炉に巨費を要する上、ひとたび大事故が発生すれば、莫大な費用だけでなく、環境に与える影響は計り知れない。したがって、脱原発に向けて、これまで以上に省エネに取り組むと同時に、自然エネルギーの導入・普及を急がなければならない、という主張をされた。
 特に自然エネルギーの普及促進については、自然エネルギーの導入を優先するような制度づくり、CO₂排出枠の設定と汚染者負担の徹底、国と地方の双方における省エネルギーへの取組み・・・などの政策を推進すべきことを強調された。
 おしまいに、脱原発と地球温暖化防止は矛盾するものではないので、その双方を同時に進めていくことは十分可能だ、という指摘をされて議論を閉じられた。


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 パネル講演の最後に登壇された吉岡斉先生は、九州大学大学院教授、同大学副学長の他、「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」委員などを兼務されている科学史家であり、環境・エネルギー政策論者でもある。
 今回の講演は、最近公刊されたばかりの『新版 原子力の社会史 その日本的展開』(朝日新聞、2011年)や『新通史 日本の科学技術:世紀転換期の社会史 1995年~2011年』(原書房、2011年)、福島第1原発事故直前に出版された『原発と日本の未来―原子力は温暖化対策の切り札か』(岩波書店、2011年)、それに岩波の『科学 2011年9月号』に寄稿された「福島原発事故と科学者の社会的責任」といった論考を基調としていた。ただし、事故調の委員を務められているためもあってか、福島第1原発事故についてのお話しに多くの時間を充てられた。
 その冒頭で、同事故による「最悪の事態」はとりあえず避けられたとしながらも、事故収束から復旧までについて、とりわけ、原子炉施設の解体・撤去や周辺地域の除染には30年以上かかり、事故処理と損害賠償のための費用として50兆円程度を要する可能性がある、そのため東京電力だけでは賄えきれず、けっきょく国民負担となる、そして、その負担の大半が次世代へのツケになる、との見通しを示された。
 他方、福島第1原発事故による影響で送電の分離や「国策民営」体制の廃止などに向けた議論が高まり、エネルギー政策の抜本的な見直しのきっかけとなった。また、原子力安全保安院の処遇や安全審査基準の見直しについても議論されるようになった。
 こうした動向を踏まえて、今後のエネルギー政策の方向性としては、(1)エネルギー基本法の見直し、(2)エネルギー基本計画の廃止、(3)資源エネルギー庁の解体、(4)エネルギー事業全般の自由化、(5)送電分離を骨子とする電力体制の再編、(6)政府の救済によらない東京電力の会社清算、(7)原発に対する優遇・支援の撤廃、(8)自然エネルギーの全量買取り制度の導入、(9)省エネに対する強力なインセンティブの導入、それに(10)温室効果ガス排出抑制政策の強化、などが考えられる。これらの帰結として必然的に脱原発が実現する、というのが吉岡先生の考えだ。
 これまで日本のエネルギー政策は、政府による民間事業への介入度が強い国策民営体制のもとで進められてきた。それは、関連業界を過剰に保護する体質があり、原発を偏愛するといった特徴をもっていた。こうした失政を踏まえて、脱原発政策の骨子は、(1) 原子力の国策的推進の撤廃を基本とすること、(2)電力の自由化を推進すること、の2点だけでよい。これにより原子炉の新増設はなくなるし、既設炉も老朽化によってここ数十年内には全廃される、というのである。
 けっきょく、脱原発ロードマップは、政府が介入して数値目標を示すようであれば、従来のエネルギー政策の轍を踏むことになるので、不必要だ。将来のエネルギー・ミックスの「解」は、自由経済のもとで社会が自ずと出してくれる。これが吉岡先生の結論だ。

 以上みてきたように、パネリストとしてご登壇くださった方々は4名とも「脱原発」ということでは一致している。しかし、それぞれの考え方やふるまい方までが同様というわけではない。その相違点が明確化したのは、金森修先生(東京大学大学院教授)が司会を務めてくださった総合討論でのことである。(たとえば、井野先生が原発を「絶対悪」と考えているのに対し、吉岡先生は「相対悪」と捉えている、あるいは、大林氏が地球温暖化を前提に議論したのに対し、室田先生はむしろ寒冷化を危惧している、などというように・・・)ただし、そこで話し合われたテーマが余りにも多岐にわたるため、ここでの要約は避けたい。
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 その後の会場との質疑応答では、今回の『脱原発シナリオをアセスメントする』というテーマからはかけ離れた、福島第1原発の現状や放射能汚染の問題などについての質問に終始した感がある。
 同原発事故による社会的な影響の大きさを如実に示すものである。忘却の彼方に追いやられないためにも、「フクシマ」について関心を持ち続けることはとても大切なことだ。しかし「3.11」以降は、(東京あるいはその近郊だけでも)毎週のようにフクシマについて話し合うための集会(講演会、シンポジウム、デモ行進)が開催されている。しかも、原発の問題はフクシマに限られたものではない。フクシマばかりに目を留め、「その先」への目配りを怠っていると、人の命よりも経済を至上とするような「強い力」によって、多くの人びとが望んでいなかった方向にいつの間にか舵取りされていた、などということにもなりかねない。気付いた時には既に手遅れで手の施しようがなくなっていた、などという事態を私たちは歴史の中で幾度も経験してきているはずだ。
 そうした意味で当シンポジウムにおいては、眼前に突き付けられている「フクシマ」だけでなく、その先の「ポスト・フクシマ」についても議論を深めたかった。それゆえ、「脱原発シナリオ」に関する核心的ないしは本質的な問題についての質問がほぼ無かったことをとても残念に思っている。
 とはいえ、それが全く皆無だったというわけでもない。なかでも強く印象に残っているのは、黒田光太郎先生(名城大学)が提起された、将来的に「原子力の専門家」をどのように育成していくか(いけるか)、という問いである。今後、脱原発に向かうとしても、廃炉や核廃棄物の管理、放射能の影響調査などの専門家の存在は必要不可欠だ。にもかかわらず、脱原発の機運と共に、若者が原子力研究の将来性に見切りをつけ、離れていってしまう可能性も高くなっている。そうした中で、原子力の専門家たちをいかに育成・確保し続けるかは、将来的に大きな課題である。

 ともあれ、全体として非常に有意義なシンポジウムになったのではないか、と多少ながら自負している。その後の数日中に、ここでは紹介しきれないほど多くのコメントやお礼、激励のお言葉が事務局に寄せられた。ご参加くださった皆さまには、心より感謝申し上げたい。
 また、パネリストの先生方には、ご多忙を極めてらっしゃるなか無理を言ってご参加いただいた。ここで改めて感謝の意を表したい。

(石垣 勝)

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