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【UTCP Juventus Afterward】西山雄二

2011.09.12 西山雄二, UTCP Juventus Afterward

UTCPを巣立って新天地で活躍されている六名の方にUTCP Juventus特別篇としてブログ執筆をお願いしました。題して、UTCP Juventus Afterwardです。初回は西山雄二さん(フランス思想)です。

行動と斜傾 ― UTCPから、UTCPへ(西山雄二)

「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」では、企画準備の段階から参加し、2007年9月の創立時からは特任講師として勤務させていただいた。2年半の歳月、経歴と年齢でいうと、数々の翻訳書を出し、博士論文を単著として刊行した後、37歳から39歳までの期間だ。

2010年4月に首都大学東京に常勤ポストを得て就職してから、UTCPの事務所やイベントにはごく数回しか足を運んでいない。ただ、駒場キャンパスに足を踏み入れるたびに懐かしさが込み上げてくる。懸命に働き、学ぼうとしたからだと思う。自分のなかに、あの時期から止まっている時間がひとつがある。大学院に入った23歳からも何らかの時間が止まったままだが、こうしたアナクロニックな時間をいくつか抱えて生きることは貴重なことだ。

UTCPでは仕事や研究でいくつもの試練があったが、そのひとつは2008年10月のアルゼンチンへの出張だった。小林康夫氏と中島隆博氏との旅で、バリローチェの国際会議で日本思想、ブエノスアイレスの国立図書館で哲学的大学論の発表をそれぞれ英語とフランス語でおこなった。私の発表はいまひとつで、小林氏は旅の後半、とても苛立っていた。ある夕食の際には決意した様子で、「他人の思想を上手く整理するだけではダメ。結局、君は臆病すぎる。自分の思考で道を開いていかないとそれ以上伸びない」と厳しい表情で忠言された。翌月にはパリでやはり小林氏と国際会議を主催することになっていたが、「来月の発表はこの程度のレベルでは許さないから」とも釘を刺された。

翌11月の国際哲学コレージュでのフォーラム「哲学と教育」、12月の丸山眞男のセミナーでの発表は、後がないという気持ちで挽回を賭けた。その成否はともかくとして、パリでは、小林氏が「UTCPで私は西山さんを哲学の世界市民として養成しているんだ」と上機嫌で聴衆に公言したときには少し救われた気がした。小林氏の言葉の前後を引用しておこう。

「1990年代、『知の技法』などを編纂しながら、私は大学の新たな務めに思いを馳せていました。一国枠の市民ではなく、国際的な市民としての権利と責任を負う人間を育てるという大学の務めを。そのためには、ひとつの学問分野で自己完結してはいけない。当時私は「行動すること」の意義を何度も強調しました。いかに移動し、見聞し、批判し、対話するのか。大学はプロフェッショナルを養成する機関ですが、それ以上に、国際的に行動することを学ぶ場所でもあります。国民国家の枠のなかで、大学だけがこれほどの自由をもつ。この信念は今も変わっていません。この信念にもとづいて、私はUTCPを統括しています。」(2008年11月25日、UTCP国際フォーラム「哲学と教育」)

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「卒業」して遠く離れてみて再確認するのだが、UTCPは実に高密度な人文学の研究教育拠点である。海外の研究者との交流の質と量はもちろん、若手が活躍できる機会を十分に与えている点は素晴らしい。科学技術政策研究所の調査によれば、ポストドクターの1年あたりの平均研究業績は、査読付論文1.6本、紀要論文等0.3本、学会発表3.4回。これは多産傾向の理系のポスドクも含めた数値なので、文系だけならもう少し控えめな数になるだろう。UTCPでは若手が十分な数の業績を上げており、しかも、英語などでの口頭発表や論文執筆も標準的になっている。UTCPは日本の大学院生およびポストドクターの理想的モデルのひとつを提供していると言える。

私自身はUTCPの企画段階から書類作成、事務仕事などに関わったことから、制度の問いに敏感になり、深い関心を抱くようになった。それは、自分が依って立つ大学や人文学の制度を今日、いかに構想して運営していくのか、という問いだ。実際、UTCPを終了した2010年度から、さっそく3つの制度での責任を負うことになった。

1つ目は、常勤職を得た首都大学東京。2年目の今年は、人文社会系の将来構想、独仏中の未修言語科目の改革、フランス語文化圏教室のカリキュラム改編の責を負っている。

2つ目は、日本学術会議に発足予定の「若手アカデミー」の活動準備。従来のアカデミーとは異なる若手によるアカデミーを創設する動きが世界的に起こっており、「グローバル・ヤング・アカデミー」という世界大会も毎年開催されている。日本でも2010年から準備が進められ、今年秋に発足する運びとなった。30-40代の若手中堅研究者によって、若手の研究環境やキャリアパス、研究者と社会との連携などにとり組む組織が創設される。

3つ目は、パリの国際哲学コレージュでのプログラム・ディレクター。2010-16年の期間、「哲学と大学」のプログラムでセミナーを開講し、雑誌特集の企画やシンポジウムなどもおこなう。現在、私がアジアからの唯一のメンバーなので、国際哲学コレージュと東アジアを連携する道筋をつけたい。

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UTCPでの研究活動として現在も継続されているもののひとつに、映画「哲学への権利」の上映・討論会がある。ジャック・デリダの哲学的教育論を主題として、記録映画を編集したものだが、これほどまでに長丁場の活動になるとは思っていなかった。いつからか依頼に応じて上映会を開くようになり、国内外で55回ほどを重ねている。

その成果をまとめて本年2月にDVD付書籍『哲学への権利』を勁草書房から刊行させてもらったのだが、客観的に見て、非常に風変わりな作品だと思う。普通は作者が書いたテクストを読んで、研究者はテクストを書くけれども、私の場合は何重もの迂回をしている。まず、デリダが1983年に創設した研究教育制度「国際哲学コレージュ」とその制度的な実践が対象となる。次に、ミシェル・ドゥギーら関係者七人の言葉を集めて、ドキュメンタリー映画を製作した。そして、国内外でこの映画の巡回上映を続けて、異なる方々と討論をしてきた。そして、一連の討論会を踏まえて、自分のエッセイを加えて、書籍に仕上げたのだった。

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研究者が行動することでいかなる効果が生み出されるのだろうか。研究方針を一変させるとは言わぬまでも、さまざまな場所でさまざまな人と出会うことで、研究活動にいくつもの微妙な斜傾運動が加えられる。私の場合は、映像と話し言葉と書き言葉をまとめ直し、監督と討論者と書き手という異なる立場を統合しながらDVD付の書物とした。小林氏が明言したように、UTCPが従来の人文学に行動の理念を付加したのだとすれば、テクスト分析や読解を直線軸としながらも、だが、その孤独な作業にさまざまな斜傾の力が加わるのである。UTCPから離れた私がいまなおUTCPへと立ち返っているように感じるのは、行動によって、自分の研究教育活動に予期せぬ方向への斜傾が加わっていると実感するときである。

      西山雄二 個人HP「哲学への権利」 http://www.comp.tmu.ac.jp/nishiyama/

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