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【UTCP Juventus】小澤京子

2011.08.19 小澤京子, UTCP Juventus

【UTCP Juventus】は、UTCP若手研究者の研究プロフィールを連載するシリーズです。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開などを自由に綴っていきます。2011年度の8回目は特任研究員の小澤京子(芸術史・表象文化論)が担当します。

今までの研究と博士論文に至る研究計画については、既に昨年のJuventusで書きました。今回は、ここ最近と近い未来の仕事について触れたいと思います。
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【クロード=ニコラ・ルドゥー《ブザンソンの劇場への一瞥》】

1. 新古典主義時代の建築構想の分析

(1)怪物的建築?

今年4月に刊行された表象文化論学会学会誌『表象』に、「適合性と怪物性――クロード=ニコラ・ルドゥーの建築構想における両極的性質について」と題した論文を投稿しました。
この論文は、フランス革命期の建築家ルドゥー(1736-1806)の作品群(建築計画図面、実現した建築物、一冊の書物にまとめられた建築思想)と、同時代の観相学や自然史の概念との関連性を捉えたものです。ここで鍵概念となるのが、「カラクテール(性格・特徴・文字という意味を併せもつ)」、「モンストル(キマイラ的な畸形や怪物を指す)」、性的なメタファー性の三つです。

ルドゥーと同時代(新古典主義時代)の建築思想では、「建築のカラクテール(性格)は、その用途や目的との間にコンヴナンス(適合性/相応しさ)を持つものでなくてはならない」というテーゼが提唱されていました。この発想は、「芸術における相応しさ(デコールム)」という伝統的な考えを引き継ぐ一方で、当時の疑似科学であった「観相学」や、自然史(Natural History)における分類概念とも通じるものです。ルドゥーもまた、この規範に追随しようとしますが、「破綻なく美しい新古典主義建築」に収まるには、彼の思考はあまりにも矛盾に富み、またその造形は「過剰さ」を内包するものでした。
ルドゥーの考案した建築物は、後世代の建築家たちから「怪物/畸形的(monstrueux)」であるとして批判されます。この「怪物/畸形」としての性質こそ、ルドゥーの抱え込んでいた過剰さと自家撞着の体現でした。この論文は、純粋な「建築史・芸術史の研究」というよりも、むしろ18世紀末という変動の時代のエピステーメーを捉えようとする試みです。
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【「シャム双生児の姉妹」18世紀の版画】

(2)建築家の自意識:デミウルゴスと旅行者

今年の5月には、「イメージ研究の再構築」プログラム事業推進担当者である三浦篤先生、PD研究員である小泉順也さんとともに、フランクフルトで開催されたエコール・ド・プランタンに参加しました。概略については、すでに出張報告がアップロードされています。

この発表で展開したのは、ルドゥーにおける「建築家としての自己規定」です。彼は自著の中でしばしば、都市を構想し理想的なコミュニティを創造せんとする建築家の職務を、デミウルゴス(宇宙創造主としての神)と同一視しています。ここには、当時のフリーメイソンたちが共有していた神秘主義思想の影響が色濃く現われています。(ルドゥーは著作の中で、しばしば異教の神々を登場させています。このようなヘレニズム自体が、フランス革命前後という時代の特性を物語っているのかもしれません。ルドゥーの作品世界において、神とはヘブライズムの唯一神ではありません。)

しかし、ルドゥーの独自性は、このような「デミウルゴス」イメージに、さらに「視線の権力性」を重ね合わせた点にあります。彼の設計した「アルケ・スナンの王立製塩所」、この計画図を元に、産業に基づくユートピア的共同体を志向した「ショーの理想都市」は共に、「パノプティコン」としての構造を有しています。ルドゥーの記述には、ジェレミー・ベンサムの種々の論考を参照したと思われる箇所があるので、あるいはこの一望監視構造も、ベンサムの著作に示唆を受けての考案かもしれません。ともかく、この建築家は円形の中心(それはフリーメイソン流の宇宙観に基づいた「太陽の祭壇」でもあります)を、監視と権力的統制の場として捉え、それを「眼」と「放射状に広がる視線」というメタファーで記述しました。

ここからは、エコール・ド・プランタンでの発表後に考えた仮説です。ルドゥーはまた著作の中で、自分自身を「旅行者」と同一化してもいます。建築家を職業とする「旅行者」の一人称の叙述として、「ショーの理想都市」の構造と個々の建築物の様相が語られていくのです。デミウルゴス、あるいは中心に位置するアルゴス(百の眼を持つ怪人)としてのみならず、ミクロコスモスとしての都市の中を移動していく旅行者としての建築家――実際、ルドゥーの著作は『ロビンソン・クルソー』など同時代のユートピア紀行文学とも共通する点が数多くあります――このような自己イメージも、時代特有の心性の体現であり、またルドゥーの都市構想に何らかの形で反映されているかもしれません。この分析は、今後の課題です。
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【ルドゥー《ショーの都市の透視図》】

さて、エコール・ド・プランタンを初めとして、ここ1年半くらいは積極的に国際学会に参加するように努めてきました。言語的な壁(特に発表後の質疑応答)は、予想以上に大きなものですが、そこで感じるのは、むしろ「他者との邂逅」や「他流試合」という意識ではなく、特定の知的体系や志を共有する「同志」たちが、国境や言語を越えて存在するのだという連帯感です。日本語の媒体にアクセスできる人間は、世界的にみれば相当限られていますから、自分の研究成果と思考を広く伝えるためにも、このような「言語を越えた知的共同体」にコミットし続けていきたいと考えています。


2. 都市の解剖学

ここしばらくは、以前からお話しを頂いていたものの、なかなか作業を進められずにいた単著『都市の解剖学』の執筆を進めていました。このエントリがアップされる本日、最終章をやっと脱稿したところです。ありな書房より近刊予定です。以下はその梗概です。

内部と外部とが相互陥入し、可視的なものと不可視のものとがせめぎ合う、葛藤の場としての皮膚――本書はこのような「皮膚」において、都市表象をとらえようとする試みに他なりません。都市や建築の皮膚とは、単に舗装や外壁に留まるものではありません。それは建築物と身体との擬人体主義的なアナロジーが生みだす、隠喩的な「皮膚」をも含んでいます。本書では、建築ドローイングや廃墟画などの視覚的イメージから、ロマン主義文学における建築物の表象にいたるまでを対象に、この可視的/不可視的な皮膚をめぐって展開する想像力を辿ります。ここでいう「解剖学」とは、都市と建築の――ときに病的な――イメージをめぐる、皮剥ぎと腑分けの術のことなのです――
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【ベルナルト・ベロット《ドレスデンのクロイツキルヒェの廃墟》1765年】

3.身体というトポスをめぐって

『表象』掲載論文でも単著『都市の解剖学』でも、私の関心は(実証研究としての「建築史学」とともに)「身体」的なものと建築空間との関係性にあります。もともと、大学院に入るときの論文課題として取り上げたのは、コンセプチュアルな服作りで有名なデザイナー、フセイン・チャラヤンでした。そこから新古典主義時代の西欧建築史というと、随分とかけ離れた場所に流れ着いたという印象を持たれるかもしれませんが、私の元々の興味は「身体と、その外部を覆いつつ身体を規定・規制・規律するモノ」との関係性にありました。衣服とともに、建築物もこのような被覆であり外皮(いわば拡大された衣服)です。

このような関心もあり、また友人や先輩の紹介という運に恵まれたこともあり、ここ最近はファッションや身体をテーマにした仕事も少し手掛けています。

一つ目は、ジャパニーズ・ファッションのブランド紹介です。ウェブマガジン『Japan Quality Review』内のファッションコンテンツ「おめかし」にて、「ときめかし」という連載を担当させて頂いています。第1回では、三宅一生の新ライン「132 5. ISSAY MIYAKE」 、第2回では新鋭のブランド「mame」について書きました。 次号では、keisuke kandaという非常に面白いクリエイターを取り上げます。プロダクトの魅力をアピールするという目的とファッション批評という性格を、短い文章でいかに融合させるかが毎回の課題です。

二つ目は、今年の前期分を担当した非常勤の講義です。「ヨーロッパ文化」という緩やかなテーマ設定で、内容はほぼ自由に設定できたため、前半では今まで自分が取り組んできた主題(廃墟表象、紙上建築、記憶術と建築、文学の中の都市表象……)を「空間の表象史」として講義し、後半では「身体」のイメージについて、特に「アイデンティティが現れ、また攪乱される場でもある皮膚(ファッション・化粧・整形手術・ジェンダーを巡る混乱と遊戯…)」と「人間とそれに隣接する外部(メディアやテクノロジー、ポスト・ヒューマンの問題…)」というテーマを取り上げました。自分にとっては冒険的な試みであり、週の半分は準備に費やされ、講義前日は毎回ほぼ徹夜という絶望的なスケジュールになりましたが、確実に思考のコーパスを広げることができたと思います。書評や期末レポートで、学生の皆さんが予想以上に頑張って本を読み、自分の思考を展開してくれたのも嬉しい経験となりました。
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【ジウゼッペ・サンマルティーノ 《ヴェールのキリスト》1753年 】

今後の最大の課題である博士論文の完成に向けて、今はUTCPという恵まれた環境を活かしつつ、着実に自分の思考を形にしていきたいと考えています。

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