【UTCP Juventus】中澤栄輔
【UTCP Juventus】は、UTCP若手研究者の研究プロフィールを連載するシリーズです。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開などを自由に綴っていきます。2011年度の3回目は特任助教の中澤栄輔(科学哲学・記憶の哲学・脳神経倫理学)が担当します。
わたしがいま主に取り組んでいる研究テーマは記憶の哲学です。わたしたちは過去に経験した楽しいことがらを思い出して甘美な気持ちに包まれることもあるし、それとは反対に、過去の苦い経験が頭をよぎって後悔の念に苛まれることもあります。こうした記憶の哲学的側面がわたしの研究対象です。
とりわけわたしが注目しているのは心理学的に「エピソード記憶」と呼ばれている記憶です。べつに特別な記憶ではなく、ごく普通にイメージされるような記憶のことです。エピソード記憶は特定の時間位置と場所を持ち、過去に自分が経験したことにかんする長期的な記憶です。一般的に言って、意味記憶は命題的な構造をもつ信念ですが、それにたいしてエピソード記憶は一回限りの体験の記憶で、特定の時間空間的位置をもち、そのときの感情や雰囲気などを含みます。
エピソード記憶は想起が繰り返されるうちに意味記憶へと変換されていきます。しかしながら、エピソード記憶がそもそも最初から意味記憶を含んでいると考えるべきか、エピソード記憶はいくつかの意味記憶の組み合わせにつきると考えるべきか、エピソード記憶は最終的にすべて意味記憶に変換されると考えるべきか、こういった問題にかんしてはかならずしも十分にはわかっていないと思われます。(動物におけるエピソード記憶様の記憶研究や言語獲得以前の幼児におけるエピソード記憶の指摘といういくつかの経験的知見はこうした問題にとって役に立つかもしれません)。こうした問題は経験的知見の積み重ねにより解決される問題かもしれませんが、もしかしたらエピソード記憶の定義の問題であるかもしれません。そうだとしたら、記憶の哲学の役割がここにひとつあるようにおもわれます。
さらに記憶にかんしてどういった哲学的問題が考えられるでしょうか。エピソード記憶は「人間のアイデンティティ」にかかわっています。アイデンティティの基準の候補として有力なのが記憶の連続性や継続性といった概念です。わたしは「記憶の脳神経科学が人間のアイデンティティにもたらす影響」というトピックで研究を進めてきました。このテーマは脳神経倫理学の領域に属するテーマでもあります。とりわけ、記憶を操作する技術、なかでもトラウマ記憶などのマイナスの価値を持つ記憶を消去させること、あるいは改変させることを目指す技術の開発がわたしたちのアイデンティティにどのような影響を与えるのか、そういったことについて調査・検討しています。