【報告】「近代東アジアのエクリチュールと思考」2011年度 第4回セミナー
中期教育プログラム「近代東アジアのエクリチュールと思考」のセミナー2011年度第4回目は「吉川英治の『宮本武蔵』のポルトガル語訳」と題し、コール・ヒタ氏(Kohl Rita、発表者:比較・修士課程)、申ミンジョン氏(ディスカッサント:比較・修士課程)を中心に行われた。(発表の部:7月1日、討論の部:7月8日)
【テキストⅠ】吉川英治『宮本武蔵』(吉川英治歴史時代文庫、講談社、2002年)
【テキストⅡ】Eiji, Yoshikawa. Gotoda, Leiko, trans. Musashi. Editora Estação Liberadade, 2008.
【テキストⅢ】Venuti, Lawrence, eds. “Translation, Community, Utopia”. The Translation Studies Reader. Routledge, 2004.
◆発表の部(7月1日):ヒタ氏が取り上げるのは、ポルトガル語に翻訳された吉川英治『宮本武蔵』である。『Musashi』(1999年)という題名で発表されたこの翻訳は、レイコ・コトダ(Leiko Gotoda)が個人的な関心から翻訳をしたもので、二千ページを超える大作にもかかわらず、ブラジルでベストセラーとなった。『Musashi』がベストセラーになった理由として、発表者は、アニメや漫画などの日本の大衆文化の影響、日系の移民の存在、エキゾチシズムなどを考える。また日本に関する教養書として読まれたり、自己啓発書としても読まれたりすることもあるという。
翻訳の問題を考えるにあたって、ヒタ氏は、ヴェヌティ(Lawrence Venuti)が提示した「異質化(foreignization)」と「受容化(domestication)」の議論を参照する。『Musashi』では、小説に登場する文化的事物や固有名はそのまま残され、ブラジルにおける同類の語彙に置き換えられることはない。例えば「rônin」、「hakama」、「san」「sama」などの敬称は、ポルトガル語の文章の中にそのまま用いられている。このように原文の文化的要素をそのまま反映し「異質化」を維持する一方で、文体についてはポルトガル語の文体様式に変換され、もとの文化を翻訳先の文化に取り込もうとする「受容化」の動きもある。特に、顕著なのが台詞の訳し方である。アクションシーンの多いこの小説では、台詞が重要な役割を果たすが、間投詞や感嘆詞、また笑い声、掛け声、どもり、気合などを表すオノマトペの使い方は、ポルトガルの散文ではほとんど用いられるものではなく、文体の変換が多く見られている。
また、ヒタ氏は、翻訳と社会的なイデオロギーの関係についても検討が必要だという。日本の文学作品の受容においては、「日本人の心・考え方」や「伝統」が強調され、何よりも「日本」のイメージとともに語られる。その一方で、その作家や小説のもつ独自のスタイルについては、軽視されがちである。単なる「日本」のステレオタイプな像を抽出するのではなく、作家や作品のもつ個別的な意味を検証してこそ、はじめて翻訳を異文化交流の場所に位置づけることができるだろう。
◆討論の部(7月8日):まず、前回の議論で質問があった『Musashi』の英語もしくは他言語からの重訳の問題について、ヒタ氏が『宮本武蔵』の翻訳本を整理した表を提示した。欧米圏の翻訳には、テリー(Charles S. Terry)による英訳『Miyamoto Musashi』(1981)があるが、それは簡略化されたものであり、他の言語の翻訳もこの英訳を重訳したものが多い。また、英語版に載せられていたライシャワー(Edwin O.Reischauer)の序文や当時のアメリカの書評、表紙のイメージも、重訳に際して再利用されている。
こうした補足に続いて、ディスカッサントの申ミンジョン氏が、レイコ・コトダが『宮本武蔵』を翻訳する背景について質問した。それに対して、ヒタ氏は、日系ブラジル人であるレイコ・コトダが日本の文化を紹介することを挙げた。その背景には、ブラジルには日系移民が多く、しかも若い世代に日本語ができない人が増えているということがある。また申氏は、翻訳の問題について、「意訳」と「直訳」という二つを挙げながら、望ましい翻訳について質問した。これについては、翻訳にともなう文体等に変容は避けられないが、それがすべて問題とは限らない。むしろ、再創造された翻訳作品に対して、原文をどう関係づけられるかが問題となるという意見がでた。
他にも、『宮本武蔵』が「日本」のカノンとして翻訳されるのではなく、レイコ・ゴトダの個人的関心から翻訳したことについて、流通している英訳の『Miyamoto Musashi』への不満として考えられる可能性があるという指摘があった。また、主人公の成長を描く吉川の小説とドイツの教養小説の接点など、世界的な文学の潮流のなかで、『宮本武蔵』がどのように確立し、またそれが翻訳として、どのように海外へ渡ったかについても議論があった。
(文責:小松原孝文、柳忠熙)