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【報告】石田正人氏講演会「表象のざわめき――C・S・パース草稿群との対話」

2011.07.28 岩崎正太, セミナー・講演会

去る7月20日、石田正人(ハワイ大学マノア校)氏をお迎えし、「表象のざわめき――C・S・パース草稿群との対話」と題する講演会が開催された。

石田氏は、チャールズ・S・パース(Charles Sanders Peirce: 1839-1914)研究のご専門家であり、現在ハワイ大学マノア校でご活躍されています。このたびの講演会では、ご専門のパース研究の一端を発表してくださいました。

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カントの『純粋理性批判』を毎日2時間ずつ3年以上も精読を行なったという逸話もあるように、パースの記号論は、カントを発端としている。カントは、人間の認識は単に外部にある対象を受け入れるという従来の哲学の常識に対して、人間は物自体を直接認識することはできず、かわりに人間の認識が表象を構成するという、人間の認識における超越論的な制約をもとにした認識論を展開しました。このカントの近代的認識論にたいして、パースは、媒介者としての記号を強調し、表象の自立を提示する。

カントのいうとおり、主観は対象(=カント的な物自体)を取り入れることはできないため、対象が認識者の心を直接に触発して観念や反応を生じさせるのではない。が、このときパースによれば、かわりに記号が対象についての一定の観念を伝達したり、反応を生じさせたりしているという。つまり、記号が、対象と自己意識的な思考〈コギト〉との媒介者となっているというのである。パースは、カントのVorstellung は主観の認識能力へと引きずり込まれすぎているとし、表象に媒介者としての存在性格を与えることで、表象そのものを主観から自立させ、人間的主観に限られない記号のより広い概念を提示する。

主観の超越論的な制約から解放されることによって、表象は自立したものとなる。表象の自己組織化作用が表象空間を構成し自己意識的な思考〈コギト〉を触発しているのであって、その逆ではない。そのとき、世界は、所有格「私の」を持たぬ表象の世界となる。それは、夥しい記号(の働き)にあふれ、表象それ自体がざわめく世界である。そのような世界において、表象を構成するものとしての特権性を剥奪された人間は、表象から問いかけられ、表象のざわめきに立ち会う「付録」となる。この意味において、パースの記号論は、〈出来事〉の思想といえるだろう。

ある天才の思想の全貌を明らかにするためには、出版されたものだけでなく、その草稿まで丹念に調べ上げ、地道な研究の積み重ねを必要とする。パースは、8万ページにもおよぶ草稿を残したという。石田氏は、その草稿群を文字通り一語一語つぶさに検討するという研究の手法(世界と渡り合うための「私の武器」とおっしゃっていた)を示しながら、世界標準のパース研究の一端を披露してくださった。

報告:岩崎正太

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