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【報告】「近代東アジアのエクリチュールと思考」2011年度第3回セミナー

2011.07.25 └セミナー, 齋藤希史, 小松原孝文, 柳忠熙, 近代東アジアのエクリチュールと思考

中期教育プログラム「近代東アジアのエクリチュールと思考」のセミナー2011年度第3回目は「武田泰淳「『愛』のかたち」と題し、許必涵氏(発表者:比較・修士課程)、王煜丹氏(ディスカッサント:比較・修士課程)、董哲蘭氏(ディスカッサント:比較・修士課程)を中心に行われた。(発表の部:6月17日、討論の部:6月24日)

【テキストⅠ】武田泰淳「『愛』のかたち」(1948)『武田泰淳全集』第2巻(筑摩書房、1978~1980年)
【テキストⅡ】遠藤周作「精神の腐刑(武田泰淳について)」(1949)『遠藤周作文学全』集12巻(新潮社、2000年)

◆発表の部(6月17日):「『愛』のかたち」は、光雄・M・野口という三人の男と、町子との間の関係を描いた小説である。特に、許氏が問題にするのは、作品における「危険な物質」と「利口な野獣」の意味である。「危険な物質」と「利口な野獣」は、性欲のない男光雄を指すことばであり、その意味で光雄は、遠藤周作が「精神の腐刑」で指摘した戦後の「宦官」的な姿と重なるようにみえる。しかし、「『愛』のかたち」は、光夫が町子との恋愛を深める中で、他の男たちのように「自分勝手な欲獣」になり、ただの「男」に変化する過程を描いているように思える。しかも、光夫がそのように「宦官」的状態から脱出することは、すべて町子に起因するのである。
許氏の発表では、光雄を軸として分析が進められている。それは「『愛』のかたち」の先行研究の視点とそれほど違うものではない。しかし、許氏も最後に指摘するように、すべての要因の背景には町子がおり、光雄よりも町子に焦点を当てて分析する方がよいのではないか、という指摘が出された。表面的には光雄を主人公とする物語のようにみえる「『愛』のかたち」を、町子の物語として検討することで、「宦官」的であった光雄がただの「男」に変化する意味もみえてくるかもしれない。また、そのような視点を取ることで、小説のタイトルでもある「『愛』のかたち」が、不感症である町子にとって、どのような意味をもつのか明らかになるかもしれないという意見もあった。さらに、「『愛』のかたち」は別々に発表された文章が、再構成されて単行本化されたものである。今日、全集に収録されているのは、この再構成されてできたものであり、こうした書誌情報についても詳しく検討する必要があるという指摘も出た。

◆討論の部(6月24日):まず許氏が前回の議論の補足を行った。「限界状況における人間」(1958年)というテキストで言及される「『愛』」にかたち」についての問題を取り上げ、町子が肉体的な快感を「愛」から排除し、精神の「愛」を問題にしていることを指摘した。
 こうした許氏の発表に対して、ディスカッサント王煜丹氏は、光雄の宦官的状態からの脱出が本当にみられるか問いつつ、町子にとっての「愛」の意味とその作品との関連について質問した。もう一人のディスカッサントである董哲蘭氏は、「危険な物質」と「利口な野獣」について触れつつ、このテキストが「町子」の視点から分析可能であるか尋ねた。また、この小説の戦後文学における位置づけや、題名でもある「『愛』のかたち」が先行研究でどのように論じられているかについても質問を行った。
 許氏は、これらの質疑に対して、今後の課題として検討の余地があることを述べた。そのうえで、傍観者的な態度を取っていた光雄が、町子と関わる中で複雑な人間関係に巻き込まれ、最後の章では町子の支配を否定できなくなっていること。また、町子にとっての「愛」の意味とは、精神的な側面が強く、肉体的な側面は「愛」を獲得するための手段にすぎないということを指摘した。
さらに、この討論の部では、川西政明『武田泰淳伝』でこのテキストの複雑な生成過程について詳しく論じられていることも補足された。

(文責:小松原孝文、柳忠熙)

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