【出張報告】春のアカデミー(Ecole de printemps)、フランクフルト大会
2011年5月16–20日、美術史に関する国際学術集会 Ecole de printemps がドイツ、フランクフルト・アム・マインで開催され、UTCPからは中期教育プログラム「イメージ研究の再構築」事業推進担当者の三浦篤さん、同プログラムPD研究員の小泉順也さん、小澤京子さんが参加しました。
(Ecole de printemps に関してはこちら)。
ドイツのマイン川沿いの金融都市フランクフルトに行くのは、今回が初めて。高層ビルと住宅に公園と並木道が絶妙にブレンドされた街路を、ホテルから大学まで20分くらいかけて毎朝歩いて行くのは気持ちよいものだった。
今年の第9回大会は、昨年のフィレンツェ大会と比べると、5日間のうち見学会を半日に抑えてそれ以外をすべて発表にまわし(計43人)、文字通り朝から夕方まで、指導する教員たちも加わり英仏独伊の4カ国語が飛び交う活発な議論の質は高かった。加えて、日替わりのレスポンダント2人が毎日その日の発表をレジュメし、議論をさらに深めるというやり方も効果的で、欧米主要国の美術史大学院生たちによる合宿の雰囲気が濃厚に漂う。今年は教員の発表を少なくして「円卓会議」を設けていた。
今回のテーマはずばり「芸術家」。西洋における芸術家という存在をめぐる概念、神話、イメージなど可能な限りの問題系を取り上げ、9セクションに分けて検討するという壮大な枠組みであった。問題によって発表数にかなり幅があったのは、学生たちの現在の関心を反映していて興味深い。発表のレベルは総じて高かったと言える。
昨年の大会にUTCPから派遣され発表した私[三浦]が、この大会から日本側組織委員の役目を負うことになり、オープニング・セクションの司会も担当した。美術史学会を通じて公募した日本人学生の発表(2人)は小泉順也と小澤京子が担った。両名は各々仏語と英語で発表したが、欧米の学生たちのほとんが母国語で発表していることを考えると、その努力と成果を多としたい。
フランクフルト大学のトマス・キルヒナー教授とそのスタッフによる周到な準備と歓待ぶりも実に見事であった。大きな刺戟と教育効果のある大会であるばかりか、同世代の学生間に国際的な交流のきずなが結ばれるという意味でも具体的な実のある貴重な場であると、改めて認識した次第である。
(なお、今回の派遣に関しては財団法人石橋財団にご援助いただいた。記して感謝申し上げたい。)
[以上、三浦篤]
多言語の環境のなかで、さまざまな知的刺激に浸った1週間であった。自分のなかで何か変化があったと思っているが、実際のところ、それをきちんと説明するのは難しい。たとえるならば、語学研修で数週間ほど異国に滞在したときの体験に似ており、寝食をともにするという意味では、学会やシンポジウムというよりも合宿という形容がふさわしいだろう。
私[小泉]は初日の午後に、「20世紀初頭のフランスにおけるポール・ゴーガンの受容史と没後の肖像」と題したフランス語の発表を行い、ピエール・ジリウー、ポール・セリュジエ、オディロン・ルドンの作品を取り上げながら、ゴーガン受容と芸術家表象の問題を論じた。具体的には、1906年から1907年に考察の範囲を限定して、1人の芸術家の死に対する同時代ならびに後世の画家たちの反応を、作品展示と美術批評の観点から検証した。
フランス語ではこのような発表の形態を〈communication〉と呼ぶ。今回のコミュニカシオンを通して、自分の関心や問題意識を共有する学生や先生と出会えたことは、大きな喜びであった。たとえば前述のピエール・ジリウーについて、私は一昨年に美術史学会の雑誌に論文を発表している。この画家の研究者は、知る限りにおいて他に数名のフランス人しかいないのだが、その内の1人である高等師範学校のベアトリス・ジョワイユ=プリュネルさんとの議論は、実に貴重な経験であった。また、現在ワシントンDCで開催中の「ポール・ゴーガン――神話の創造者」展の監修者ベリンダ・トムソンさんの夫で、エジンバラ大学で教鞭を取るリチャード・トムソンさんとも面識を得ることができた。
こうした出会いが何をもたらすのかはよくわからない。自分の変化の程度を確かめられないと述べたのは、以上の理由からである。いまは充実した時間を反芻しながら、新たな研究の展開に向けて、できる限りの備えをしていきたいと思っている。
[以上、小泉順也]
小澤は「Individual representation and self-stylizing」をサブテーマとするパネルで、「The Notion of “Architect-Demiurge” in the Works of Claude Nicolas Ledoux」と題した発表を行った(5月18日)。フランス革命期前後に活動した建築家ルドゥーが著した『芸術・風俗・法制との関係の下に考察された建築』のテクスト、またそのベースとなった実作「アルケ・スナンの王立製塩所」の形態の分析を通して、彼の「デミウルゴスとしての建築家」という自己規定を炙り出そうとするものである。
「創造主としての建築家」および「建築家としての神」という概念自体は、フリーメイソン思想の影響の色濃い18世紀後半の建築家たちに、広く共有されたものだった。彼の独自性は、このようなデミウルゴス観と、視線の政治学(パノプティコン構造の中心に位置する、全てを見渡す《眼》の持ち主)とを重ね合わせたことにあったのではないか。以上が私の発表の主旨である。
思考が上手く煮詰まらず、「半熟」のプレゼンテーションとなってしまったが、多くの示唆的なフィードバックを得ることができた。具体的な一次文献や、ルドゥーの比較項となりうる対象の教示、あるいはまた、自分の分析の間隙を突くコメントなどなど。一人で調査や分析を行っていると、どうしても思考が唯我論的な袋小路に嵌ってしまいがちなのだが、それを打開するきっかけを掴むことができた。
参加者たちとは次第に打ち解け、木曜午後の美術館見学やフェアウェル・パーティー、仏独組と一緒だった宿で、楽しい時間を過ごすことができた。言語やナショナリティは異なれど、知の枠組や志を共有する若者たちと、時間や場所を共有し、「共に在る」経験をすることができたことも、このエコール・ド・プランタンで得られた大きな果実であったと思う。
[以上、小澤京子]