【UTCP on the Road】研究者の居場所(津守陽)
生来抽象的に物事を考えるのが苦手なので、具体的にUTCPが私に何を与え、何を感じさせてくれたのか、という点について簡単に述べたいと思います。
UTCPに2010年6月から参加して翌年4月にはこうして別の大学へ赴任することとなりましたので、在籍したのはほんの1年弱でした。この短い間に、在籍する身ですら全容をつかむのに四苦八苦するこの大きなプロジェクトが確かに私に与えてくれたのは、「居場所」という感覚でした。おそらくどのジャンルの研究者でも、学籍を離れて就職するまでの期間は生活基盤が非常に不安定な時期になると思われます。また私生活の面でも、結婚や子育てなど何らかの大きな変化を迎え、研究生活との両立に頭を悩ませる人が少なくありません。私自身もその例に漏れず、不安定な身分のまま駒場へやってきて博論を書きながら、学生の頃所属していた研究室という居場所を失うことの辛さや苦しさを、急激にかつどうしようもないかたちで思い知らされていました。途中に妊娠・出産を挟んだことも、この漂泊感に追い打ちをかけたかと思われます。そしてちょうど博論の重圧から解放されると同時に当面の新たな目標を模索し始めた頃、UTCPに参加する機会を得たのでした。UTCPが私に「居場所をくれた」と言う時、その第一の意味はやはり、こうした漂泊する若手研究者に、再び「私はここにいて自由に研究をして良いのだ」という安心感を与えてくれた、まさにその点にあります。
但しこの「居場所」は決して、以前学生として在籍した大学の研究室のように、固定的でがっちりした「所属先」ではありませんでした。UTCPの性質を論じることは私の任に余りますが、私にとってUTCPという空間・場は、構成員の誰もが属しているようで属し切っていない、つながっているようで繋がれてしまっているわけでもない、非常にゆるやかで流動的な人々の集まる場です。こうした場に足を踏み入れ、構成員と関わり、自分の専門とかけ離れたセミナーにも参加していく中で、私の思考や行動方式はほんのりと、けれど確実にいくつかの影響を受けたように思います。そしてこの場に「居る」ことを通して感じたのは、もしかしたら私が今後研究者としての道を踏み出していく先で出会うのは、学生の時のようなどっぷりと浸る「所属先」ではなく、各人が孤独な思考作業を続けながらお互いに交わることで「居場所」を与え合う、そんな刺激的で時に温かい一種のつながりなのだろう、ということでした。そういう意味でUTCPは、研究者が、そして全ての思考する人々が関わりうる「居場所」の、一つの縮図なのかもしれません。
UTCPが私の思考方式に影響を与えてくれたと思われる点について、一つだけ述べておきます。それは哲学に対する接し方の変化です。文学研究の畑に入るうえで徹底的に叩き込まれたのは、テクストを読み込み、テクストに即して論じることでした(それ自体は今も最も重要だと感じています)。ただし論文にまとめる作業を続け、具体的な個別の問題に対処していくうちに、いつしか哲学や思想といった領域は、自分の中で目前の文学上の問題に一つの解法を与えてくれる、一種の道具や参考書のような存在になってしまっていたところがあります。ところがUTCPで経験したのは、私が身体ごと属するこの世界のあらゆる問題について、もっと思考せよ、もっと目を開き続けろと、否応なしに求められ続けるような毎日でした。この経験が私にすぐさま大変化をもたらすわけではありませんが、少なくとも今後、哲学を身の丈にあわせて感じ、考察し続けるきっかけになりそうな気がしています。
結局のところ、1年弱の期間が過ぎてみると、UTCPでの時間はまるでおぼろげな夢のように感じられなくもありません。相変わらず目の前の専門的課題は山積みで、赴任先では学生の興味を引くべく研究内容をブレイクダウンするのに苦心する毎日です。それでも、「いつでも里帰り歓迎」と言ってくれるUTCPにかつて自分が「居たんだ」と思えることは、これからの長い研究人生を孤独にかつ楽しく歩んでいく上で、このうえなく心強い支えとなるのだろうと、そんなことを強く感じています。参加できたのはほんとうに短い間で、離れるのはとても心残りでした。お世話になった皆様に深く感謝いたします。
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