【報告】「暗黒期」の〈日本語文学〉を再考する―植民地朝鮮の日本語文学
1月29日(土)、UTCPワークショップ「「暗黒期」の〈日本語文学〉を再考する―植民地朝鮮の日本語文学」を開催した。
本ワークショップは、朝鮮の文学史において「暗黒期」と白鉄に名付けられた一九三〇年代末から四五年、その間に現われた朝鮮人文学者たちによる日本語文学作品の位置付けや問題、意義などについて意見を交換する場として企画された。
まずメインスピーカーである鄭百秀先生に、『韓国近代の植民地体験と二重言語文学』(2000、아세아문화사)においてなされた日本語文学に関する議論の整理も兼ねたお話しをしていただいた。
鄭先生は「暗黒期」という言葉の解釈から始め、その言葉が持つ問題性を指摘した。「暗黒期」とは、その言葉に明確に刻み込まれているように、解放以前と以後を「闇」と「光」に対照させ、後者の立場から前者を規定するよう機能する。そのような働きにおいて「暗黒期」という言葉は、現在と過去を断絶させ、そのことにより少なくとも文学者たちの過去の親日行為を隠蔽し忘却させるように機能する。その帰結として「暗黒期」という言葉に象徴される解放以後の韓国文学の集団言説は、「八月一五日」の以前と以後で生の方向を転換しなければならなかった韓国人作家たちの実存的、内面的、精神病理的コンプレックスを隠蔽するものともなった。
のみならず以上のような過去と現在を分断する思考は、朝鮮語か日本語か、抵抗か協力か、あるいは親日か非親日かという〈二項対立的な認識構図〉を形成し、「暗黒期」の朝鮮人作家の日本語文学に対する研究にも影響を及ぼしてきた。
そのような〈二項対立的な認識構図〉が持つ問題を鄭先生は五つ指摘した。第一に、自民族を精神共同体として構築することを最優先する点において、それは、他者不在の自己中心主義であること。第二に、現在、または解放以後の構築イデオロギーによって過去の植民地期と断絶し、排除している点において、非反省的な現在中心主義であること。第三に、ポスト・ナショナリズム、マルティ・カルチュラリズム、グローバリズムなどの、全世界的な同時代の思想的、知的流れに逆行している点において、反時代的な非連帯的孤立主義であること。第四に、親日か反日かを規定し、前者を断罪するすべての権限を今・ここ・私(われわれ)に与えている点において、反倫理的な歴史修正主義であること。そして第五に、植民地支配・被支配を制度的に、日常的に、また心理的に経験する中で民族主体の欲望が形成されていたにもかかわらず、民族共同体の先験的な自立を想定している点において、欺瞞的な自己否認でもあること、である。
〈二項対立的な認識構図〉の克服するためのテクストを再解釈するための条件として鄭先生は、第一に、大きな物語(言説)ではなく、テクストの中の具体的、個別的な発話の意味を回復させなければならないこと、第二に、今まで否定されていた観点、あるいは排除されていた解釈がより妥当であることを示すことによって既存の認識を転覆しなければならないこと、そして第三に、こうした完結されえない、終わりなき回復と転覆の作業を続けなければならないといことを論じられた。
以上の鄭百秀からの報告を受けて、波田野節子先生からコメントをいただいた。
波田野先生は、日本文学の領域においても「暗黒期」に通じる言葉として「暗い谷」という時代規定の言葉があったことをまず想起させた。
次に鄭先生が用いた「内面」という言葉を取り上げ、例えば作家・金史良の民話を尊重する傾向とそこに至る過程を繋ぐ論理を、「内面」との関連で慎重に検討することが大切なのではないかと述べた。また関連して、李光洙の「加川校長」関して、この作品は作中人物と作家が同一化できていないから良い作品とはなっていないのではないかとも述べた。
最後に鄭先生が指摘した〈二項対立的な認識構図〉について、現在は韓国においてその構図が温存されるというよりは、なし崩し的に関心が薄まっているのではないか、つまり過去を隠蔽した世代、それを暴く次の世代、そして関心の薄い新たな世代に移ってきているのではないかと指摘した。それゆえ「暗黒期」の作品は解釈されない恐れもあるのではという懐疑を表明した。
波田野先生に続いて、呉世宗がコメントを述べた。
呉はまず鄭先生のこれまでの研究の基本となる方法について整理し、そのうえで鄭先生が用いた「対‐形象化」という用語を、酒井直樹のそれとの比較を行いつつ、その差異を指摘した。第一に植民地朝鮮においては、酒井が述べるように「日本語」と「朝鮮語」が〈翻訳行為〉を通じて「平等」「同時に」に構成されるのではなく、日本語が強制されることで朝鮮語が一方的に構成させられていく側面があり、「翻訳」の不在があること。第二に権力関係のもとでの言語選択は、被植民者側にとって〈翻訳行為〉の不平等性として現象するということ。つまり〈翻訳行為〉が一方では不在化し、他方で不平等的に現象するのではないかと述べた。しかしそのような被植民者側の不平等な言語選択においてこそ、植民地主義的な二項対立を転覆させる抵抗の可能性を見出せるかもしれないと述べた。
また呉は、鄭先生が植民地的主体に対して付与する「(自己)分裂」という用語‐認識に対し、「分裂」という用語自体が二項対立的イメージを喚起するものである以上、〈二項対立的認識構図〉に引きずられてしまうのではないかと疑問を呈した。その上で、むしろ植民地的主体とは、植民者側の価値体系の〈翻訳〉を行うことで自分自身を更新していく存在としてまずあるかもしれないこと、そしてそのような「書き換え」と捉えるならば、植民地的主体は「分裂」する存在ではなく、別様の価値創出へと「開かれてある者」として読みかえられうるのではないかと述べた。仮にそうであるとすれば植民地期の〈日本語文学〉は植民地的主体や認識主体、そして言語観・状況をクレオール化させるものという観点から再検討するという課題が現れるだろうと論じた。
以上の報告・コメントを受けて豊かな議論が交わされた。また当日は大村益夫先生をはじめ、多くの方に参加していただき、大盛況のうちに会は終了した。