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【報告】国語に思想はあるか? ー第2回,第3回ー

2011.01.25 └レポート, 齋藤希史, 裴寛紋, 守田貴弘, 近代東アジアのエクリチュールと思考

連続セミナー第2回,第3回は上田万年『国語のため』に収録されている以下の論文(講演記録)を読んでいった.

上田万年「国語と国家と」『東洋哲学』1巻11-12号,1895年1-2月.
上田万年「国語研究に就て」『太陽』1巻1号,1895年1月.
上田万年「標準語に就きて」『帝国文学』1巻1号,1895年1月.

それぞれの論文に関しては,安田先生による詳しい語釈が付けられるという形でセミナーは進行した.

第2回

これらの論文は上田がドイツ留学から帰国して間もない時期の論考であり,ヨーロッパの新知識を基盤にして明治日本の国語学研究の方向性を示そうとしたものである.

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「国語と国家と」という題が端的に明示しているように,上田は「国語」に「国家の言語」という意味を与える.そして,「国語は国民の精神的血液」,「母語」(「母のことば」「ことばの母」)という表現によって,母への愛と同じように「国語」への愛を持つべきであることを強調する.他の論文でも,「東洋全体の普通語」と始まった論旨は「四千万同胞の日本語(標準語)」及びその「人工的彫琢」の必要性を力説する内容で結ばれている.つまり,普遍性を覆い隠す個別性をもち得てこそ「国語」の構築は完成する.

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最も議論の対象となったのは,上田が「母語」という語に過剰反応し,(講演という性格を勘案しても)身体的比喩を多用している点である.論理的というよりほとんどレトリックに過ぎない,このようなものを果たして「制度としての国語」といえるかという齋藤先生や守田の意見に対し,安田先生は「制度としての国語」はあまりにも不十分であるという自覚から,このような方法で訴えたかったのではないかと応答した.

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血液によって運ばれるのは酸素だが,国語を「精神的血液」と言ったとき,何が運ばれるのか.母,愛,精神,血液.制度としての側面をうまく覆い隠す,避けられない,自然なものとしての側面.国語を制度の問題として考えることで、そこに「愛」が混入することに対する「気持ち悪さ」が,よりはっきりと浮上してくる.

第3回

上田の論文を読み進める作業は続き,焦点は「国語」と「方言」の問題に移った.

1900年を前後して「国語に国民精神が宿る」(保科孝一など)という言い方も成立した.本来制度的な「国民」に、「精神」という非制度的な概念が当然の如く結び付いている.「国民精神」の養成・達成のためには「国語」を話すべきであるとされ,「標準語」の設定とともに「方言矯正」が求められるようになる.換言すれば,「国語」という制度を担い得る言語として国家レベルでの「標準語」が要請されることになり,「国語」と「方言」との序列化が進み,固定されていった.

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その後,文部省国語調査委員会(会長加藤弘之、主事上田万年)の設置に始まり,,この機関による全国規模の方言調査が実施される,『口語法』(1916年),『口語法別記』(1917年)が刊行される.話しことばに「法」(=規則)を見出すことは、植民地における「国語」教育とも深い関係があった.「法」を教えれば,台湾人や朝鮮人も「日本語」を話すことができ,「日本語」を話せば「日本人」に同化できるはずだといった考え方である.言うならば,帝国的思考を前提にして構築された「国語」の「自然性」である.

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議論は「自然さ」をめぐって白熱した.自然を装うからこそ覆われた暴力性,そして,楽観主義と紙一重の「自然(科学)」に対する盲信.日本語に五十音図のような自然法則が存在すると信じていた国学的思考が,ある意味,近代の自然科学的思考にすり替えられたと言えるかも知れない.日清戦争に勝ち,日露戦争に踏み込もうという時局性と科学性という,上田の国語をめぐる論の両輪をいかに接合して理解すればよいのか.議論には品田悦一先生(言語情報科学専攻)も加わり,上田が明治の新しい世代意識に何の抵抗もなく順応し,自己同一化した「国語学者」であるとすれば,同時代に国文学の構築に携わった芳賀矢一に非常に似ているという興味深い指摘もあった.

自然さをめぐっては最終回にも議論が続くことになる.

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