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時の彩り(つれづれ、草) 130

2011.01.26 小林康夫

UTCPの実験(2)

[(1)を書いてから、学期末のいろいろな業務が山積で時間の余裕がありませんでした。ごめんなさい。]

まずひとつの端的な事実から。UTCPでは3月5日・6日とGraduate Student Conference "Reconsidering the Dynamics of 'Boundaries': Subjectivity,
Community and Co-Existence"(以下GSC)を行います。これは博士課程在籍の学生たちによる国際学術会議です。基本的にひとつのテーマを立てて、複数の国の学生若手研究者が発表し議論するというもの。UTCPではこれまでにニューヨーク大学との共催で行いましたし、韓国のヨンセ大学ともソウル・東京と年2回のワークショップをここ2年間継続しています。更に、UTCPだけの企画ではありませんが、BESETO会議と呼ばれる東大・北京大・ソウル大の三大学を結んで、毎年開かれる哲学会議も性質を同じくするものです。

さて、今回のGSCはUTCPの単独開催ということで、10月末から12月まで「Call for Papers」をかけました。すると、なんと応募総数が72件。そのうち、外国からの応募が30件。オーストラリア、カナダ、中国、ドイツ、ギリシア、インド、インドネシア、イタリア、ケニヤ、フィリピン、英国、USAと国もさまざまです。われわれは若干の旅費支援を数名分用意しているだけですから、みなさん、それぞれ自費負担覚悟で参加しようとしているわけです。

これが世界の人文科学の〈現在〉だと思います。これだけ活発な学術交流が日常化しているということです。この現状にいったい日本の人文系の大学院組織はほんとうに対応できているのだろうか?――その問いを真剣に受け止めるべきときが来ていると思います。

もちろん、人文系の仕事の根幹が、孤独な作業にあることはまちがいがない。孤独なエクリチュールはつねに文学の、そして哲学の「栄光」です。だが、それとけっして矛盾せずに、国際的に開かれた創造的な対話の場がますます活発化しているということは忘れてはならないのではないでしょうか。その二重の営みを柔軟に組織できることがいま求められていると考えています。

海外の大学ではすでにこうしたGSCのような活動は恒常化されはじめています。大学のキャンパスにどれだけ多くの外国人留学生を受け入れても、そこでかれらとわれわれとのあいだにほんとうに知的な交流が行われないならそれは意味がない。しかし、いまの大学の組織は、留学生だけを囲いこむ組織をつくるだけで、みずからの専攻レベルでの組織はあいかわらず鎖国したままということがないでしょうか。

わたしはこのUTCPの活動を通じて、たとえば多くの海外の日本研究者たちと知り合いになりましたが、対話をするなかで、「UTCPにきてはじめて、日本で、日本人の研究者と日本の文化について真剣にレベルの高い議論ができた」と言う声も聞いて、その度ごとに愕然とした思いにとらわれました。

UTCPの実験というのは、もちろんさまざまな制度的な試行もありますが、なによりもこの鎖国的な閉鎖性、その日本的な、あまりに日本的なマインドセットを打破して、ともかく人と人とが「ボーダーを越えて」交流すること、そしてその交流を通じて、人が育っていくことを目指すものです。

これまでのGSCの経験を通じて、驚くのは、それを組織した博士課程の学生たちが、その前後でまったく大きく変わることです。英語だけのことではなく、いまひとつ自信がなさそうと見えていた学生たちが、飛躍的に成長する姿を見て、いつも驚いてきました。若い人たちの成長にいちばん必要なことは、教員の講義などではなく、「責任ある場」です。責任を果たすことで人は成長する。UTCPの実験は、なによりもそのような「場」を開いておくことにつきます。

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