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時の彩り(つれづれ、草) 129

2011.01.19 小林康夫

読者からのメール
 わたしの知っている方ですが、パレスチナ/イスラエルの映像を見て感想を送ってくださいました。

 ベンヴェニスティさんの「声」の力強さをこんなふうに聞き届けてくだって、これこそまさに映画ならでは、けっしてテクストではできない通信だなあ、ととてもうれしかったので、ご本人のご諒解をえて、ここに転載させていただきます。
 Sさんのメールの一部です。

「13日のUTCP活動記録1に続き、昨年の旅の映像も拝見させていただきました。
バナーの写真が、花一輪にデジカメを持つ手のクロス写真に変わっていて、一瞬ふいをつかれましたけれど、偶然に生まれた旅の象徴のようですね。

問いを持つことが生きていくことでもあって、人間の責任でもあること、そして、問いも、責任も、関係性の中から生じるものでもあって、その問いの持ち方が、倫理なのかもしれないと、あらためて感じたといえましょうか。。。

それにしても、論理はなく不条理しかないとの言葉、隔てる壁。。。なんとも言いようがなく、そこでは祈りもどれほどの意味を持てるものなのか、やるせなさや絶対的な無力感のようなものを覚えたのですが、それ以上に、それを語るあちらの大学の先生の言葉の強さに驚きました。諦念や無常感といったものではない、あの何やら突き抜けているような絶対的な強さ、信というのか。。。

祈りが希望でもあるのならば、祈るという行為を学問や研究という形でつないでいくことが、哲学者といえるのでしょうね。先生のお姿を見ていてそのような思いを抱きました。
活動記録も、先生のUTCPのお仕事とそれを後へ受け渡していくためのパサージュのようでもあって、映像にもあったような一瞬振り返ってのストップモーションの後に、次へ次へと個のステージをも進めていくような、そんな連環を勝手に感じておりました。」

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