【報告】「近代東アジアのエクリチュールと思考」第10回,第11回セミナー
冬学期のセミナーも発表と討論の二部構成で進めていきました。前期から数えて第10回となる今回は,「≪時代の枠外に生きた彼女たち≫江戸後期の女流漢詩人――江馬細香の生涯と作品を例として」と題する董哲蘭さん(比較・研究生)と、山本嘉孝さん(比較・修士課程)によるコメントを中心に行いました。(発表10月15日、討論22日)
また,第11回は「東アジアにおける近松――悲劇へのドラマツルギー」と題し、崔顯さん(比較・研究生)による発表と、董哲蘭さん(比較・研究生)によるコメントを中心に行われました。(発表10月29日、討論11月5日)
第10回
◆発表の部(10月15日)では、江戸女流文学という研究領域の問題点を概観した上で、とくに男性知識人専属のジャンルといわれる漢詩文を作っていた女性たちに注目した経緯を述べた。具体的に取り上げたのは、江戸末期に活躍した「閨秀詩人」江馬細香(1787‐1861)である。細香は頼山陽に師事し詩書を学び、浦上春琴に画を学んでおり、京都から美濃大垣へ帰郷した後には詩社白鴎社を結成したほど、当時の文壇に最も知られていた女流漢詩人である。発表者は、細香没後に刊行された個人詩集『湘夢遺稿』(明治4年刊)をテクストとし、いくつかの作品の現代語訳・英訳を付けて紹介した。女性らしい詩風を前面に出す彼女の詩の特徴は、彼女自身の意思より、山陽の指導方針に負うところが多く、いわば望まれた女性らしさを演出した側面をもっているという主張が行われた。
◆討論の部(10月22日)では、発表者により、江戸女人サロンにおける男性メンターの構造、並びに文芸のジェンダーとしての「閨秀」について補足された。この2点をめぐって討論の部においても活発に質疑応答が行われた。漢詩作と享受の空間自体、個人の創作で成り立つものではなく、サロンを通じた一種の共同の場であるとすれば、メンターの構造は必ずしも女性の場合に限らない。そこにおいて「閨秀」というレッテルは、女性が詩壇に登場するにあたって強み(詩壇への積極的参加)であると同時に、限界でもあったはずである。また漢詩テクストの中のジェンダーを問うことは、恐らく画においても同様の視点が適用可能であろう。
以上を踏まえ、コメンテーターは、発表者の女性漢詩人という捉え方が、かえって彼女たちの評価の矮小化につながる危険性について指摘した。さらに、細香の他の漢詩に見られる女性観を抽出し、それが間接的に自我意識を反映しているもの(自画像としての竹の表象なども関連)ではないか、という論点も提示した。
第11回
◆発表の部(10月29日)では、近松門左衛門の劇作法のなかでも、虚実皮膜論と呼ばれる特徴を前提にし、近松の浄瑠璃作品のうち、『淀鯉出世滝徳』『冥途の飛脚』『今宮の心中』のテクスト分析を試みた。悲劇をつくる葛藤の条件として、発表者が指摘した要素は、第一に金銭的問題に取り囲まれる女主人公(廓の女)たち、第二に敵役の不在(善・悪のステレオタイプから一人の人間の両面性として描くようになる)、第三に義理と人情と償いの構造であった。
発表に対し、虚実皮膜論と貨幣経済論との関係、すなわち分析の結果が遊女や町人といった近世日本の社会経済的性格なのか、あくまで近松の劇作法の問題なのかが、まず確認された。発表者は、同様の条件の下で異なる行動をとる中国の遊女の話と比較考察をしたいこと、また近松の作品において心中の意味及びパターンに変化があることを付け加えた。
◆討論の部(11月5日)では、発表者により近松とメディアの問題に関して、さらに補足があった。それを踏まえ、人形よりストーリー性(物語の構成)を重要視する人形浄瑠璃というメディアの特性、また舞台装置と人形の問題や、ドラマ性を求める観衆の心理などをめぐって議論が展開された。
コメントは、近松の浄瑠璃における「世話物」と「時代物」との関係について確認し、そして悲劇のために用意された女性像を話題にした。取り上げた作品のなかでも、とくに『淀鯉出世滝徳』は、女主人公が自発的・積極的に行動する作品であり、心中でも悲劇でもないパターンの試みとして受け取られる(以後の心中物にはその犯罪的要素のみが反映される)。その意味では、近松にとってこの作品こそ、ある種の分岐点に成り得るのではないか、という齋藤先生による示唆もあった。
いずれにせよ、近代以降の近松に対する評価・評伝を調べることが今後の研究の発展につながる足がかりとなりそうである。そこに、むしろ世話物を近松作品の主流と考えるようになった思潮への問い直し、すなわち近松を切り口にして近代文学の成立ないし在り方そのものを問う、大きな可能性があるかも知れない。
(裴寛紋,守田貴弘)