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時の彩り(つれづれ、草) 122

2010.12.01 小林康夫

アモス・ギタイ監督

イスラエルに旅をして、その報告を書いているこのタイミングで、東京日仏学院では、イスラエルの映画監督アモス・ギタイさんの作品上映特集を展開中(12日まで)。その最初が昨夜で、たまたま招待状をいただいたこともあり、上映のあとには、友人の建築家の鈴木了二さんとギタイさんの対話の会も設定されているということも刺激になって、ちょっと無理をして、映画を見に行きました。

都市三部作のうちのテル・アビブが舞台となる作品「メモランダム」。了二さんも強調していたけれど、スピード感のある驚異的なカメラワークに感嘆。わたしとしては、「決定的な未決定性」というようなことを考えたのだが、いつかそれについて語ることもあるかな。いずれにしても、イスラエルという熱い傷のような国とつきあった以上は、その経験をさまざまな通路で深めていくことは、われわれのような者には「使命」でもある。今週、ほかの作品も見に行くことになるのかもしれない(こういう「貪欲」がいまの若い人に希薄になっているように思うのだが・・・・)

エルサレム・ハイファ報告(6)

エルサレムでのシンポジウムの翌日は、ハイファへの移動日。だが、ここでもわれわれは当初は予定していなかったのだが、西岸のまっただなかに位置するヘブロンに行ってからにしようということに。2年前だったか、早尾さんの発表で、この地のアブラハムの廟がシナゴーグとモスクに分断されているというのを知って、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のどれにとっても「祖」といえるアブラハムこそが、ある種の統合のシンボルになりうるのでは、と思っていたこともあって、ショックだった。みんなでその実態を見ておこう、というわけです。

ヘブロンに隣接するイスラエルの入植地を通ってまずは機関銃をもった兵士たちのあいだを抜けてシナゴーグ。40代の女性に双子が生まれたという祝いの集会でごったがえすその内部で、鉄条に囲まれたアブラハムそしてその妻サラの墓というのを見る。そして今度はまた兵士たちのあいだを抜けて、反対側にまわってがらんとしたモスクに入る。するとそこにも鉄条があって、先ほどまで反対から見ていた同じ墓がある、というわけ。分断が墓を貫いている、というわけでまたしても言葉のない暗い気持で外に出て、アラブ地域の旧市街の細道を歩くと、頭の上には網がはってあり、それは階上に暴力的に移住してきたイスラエルの入植者たちが窓から下のパレスチナ人たちにゴミや汚物を投げおろすから・・・と。絨毯を売っていた老人が、見てくれ、これは上から漂白剤をかけやがったんだ、と洗っても落ちない白いシミが広がる絨毯を指し示す。人間はこういうことができる、と占領の実態を目の当たりにして心ますます暗く。ほかの人もそうだろうけど、この日以来、わたしの心には、あの細い石畳の小路がまるでけっして消えない傷のように。

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