時の彩り(つれづれ、草) 121
☆エルサレム・ハイファ報告(5)
実は前回、報告した旧市街・ベツレヘムの調査から戻った夜も、全員というわけではなく、元気のいいというか、テンションの高い4名ほどが夕食のあと夜の旧市街を彷徨うということがあって、なぜかわたしもそこに加わっていたのですが、たまたまの偶然に導かれて「ダビデの墓所」に入ったりしたその道行きはここではカット。
翌日(11月2日)はいよいよ本番。大統領官邸に隣りあった瀟洒なVan Leer Jerusalem Institute(VLJI)で1日のシンポジウム。タイトルはわたしが提案したものなのだが、「Re-considering the Logic of Place for Co-existence」。UTCP側は、中島 (State and War: New Law of Hospitality)、筒井(Vergil’s Arcadia and a locus amoenus)、小林、そしてジョエル・トラヴァールさん(All under Heaven)が発表。エルサレム側は、このコロキアムのお世話をしてくださったMeron Benbenistiさん(Possible Solution in Jerusalem)、ヘブライ大学のHillel Cohen教授(The Arab population in Jerusalem)、ベン・グリオン大学のThabet Abu Ras教授(On Coexistence in Israel)、Van Leer研究所のHaifa Sabaghさん(Palestinian and Israeli teachers in Jerusalem study together the Holocaust and the Nakba)。全体のコーディネーションは、Van LeerのSarah Ozacky-Lazarさん(The Environment as a tool for coexistence)。途中、研究所のGabriel Motzkins所長も海外出張の前という忙しい時間を割いてご挨拶に来てくださいました。
すべては上記メロンさんとサラさん二人の組織力のおかげです。おいしい昼食をはさんで10時から4時まで10人の発表をめぐって熱い議論が行われました。会議はクローズドで行われましたが、毎日新聞特派員の花岡洋二さんやハイファでお世話になる小田切さんの参加もあり全員が発言して討論に参加する形になりました。この内容はいつかブックレットなどにまとめる予定にしています。
わたし自身の発表は、実は予定していたタイトルを変更してしまいました。エルサレムでイスラエルの人たちに向かって発表をするというのは、ほかの「場所」で発表するのとはまったく異なる意味をもってしまいます。どこでも語ることができるトピックではなく、やはりわたし自身にとって、このエルサレムという「場所」がどういうものであるのか、を語るしかないという追い詰められたような気持ちになって、慣れない英語のテクストを2週間ほど苦しみながら書いていて、最後には途中のパリでも書いていた。内容的には、まあ、ツェラン・デリダ経由(といえば『シボレート』ですよね)の子午線のトポスなのですが、それをH-Hの子午線として展開してみたという、ある意味では反一般化の線を行くものでした。
それはどこかで過去・現在・未来のエルサレムなるものに少しでもいいから「触れたい」というわたしの願望の表現だったのですが、メロンさんがはじめに言っていたように、「3日ならエルサレムのなにかが分かったような気になる。けれど1週間いたらもうなにも分からなくなる、(日本という場所もわたしにはそうだったけど・・・)」というわけで、小石を投げてはみたけれど、さて当たったのか、どうか。壁に当たったのか、荒野に消えていったのか、いまだによく分かりません。
夜、メロンさんを囲んで、メロンさんおすすめのレストランで楽しく会食。メロンさん、サラさんという人の人柄の強さと大きさに敬服した1日でした。感謝深く。