【報告】「近代東アジアのエクリチュールと思考」第8回セミナー
第8回目のセミナーは「お雇い米国人教師E.W.クラークとその雇用をめぐって」と題し、発表者は刀根直樹さん(比較・修士課程)、コメンテーターは柳忠熙さん(比較・修士課程)がつとめました。(発表6月4日、討論25日.遅くなりましたが,前期の最終部分をまとめてアップします)
発表の部(6月4日)では,アメリカ人お雇い教師クラークを事例にし,その雇用をめぐる問題を雇われる側の視点から検討した.発表者はクラークの著書(Life and Adventure in Japan. From Hong-Kong to the Himalayas: Three Thousand Miles through India. Katz Awa: “The Bismarck of Japan” or the Story a Noble Life.)の他,書簡や新聞記事,雇用約定書案などの諸資料を調査した結果,クラーク雇用の背景に「宣教師フルベッキ」「ラトガース・カレッジ」「日本人留学生(畠山義成、勝小鹿など)」の大きな関与があったことを明らかにした.たとえば,当初の雇用契約書で問題となった禁教の条項が最終的に削除されることで解決された(後に彼は禁教下の静岡で公然とバイブル・クラスを開いている)のも,クラークが岩倉具視(当時の外務卿)の息子と交流をもっていた事実が決定的な要因だったとする.さらに,日本人留学生とともに旧幕臣らとの相関性を考察することを今後の課題とした.
討論の部(6月25日)では,まず発表者により,明治政府の方針と契約書,クラークと中村正直との関係,「お雇い」の限界などについての補足があった.特に明治4年に執筆,翌年に発表された「擬泰西人上書」をめぐる問題において,発表者は「九慮」=クラークと推定してきた従来説に対し,クラークの無関係性及び「九慮」=グリフィスの可能性という新しい見解を示した.
コメントは,主にクラークの日本に対する意識を問題にし,その日本像が他の東洋の国々を判断する際に一つの軸になっていた点を指摘した.なかでも勝海舟の評伝が議論を深めることになったが,この書物はそもそも日露戦争の募金のために作成されたものであり,日本像に限らず,読者を意識した宣伝文句が多く見られる(たとえば,序文には勝がクリスチャンに準ずる人性をもっているとある).そこから日本におけるキリスト教伝播と普及の特徴や,欧米における親日派の形成の問題へ議論が発展し,クラークのアメリカ(西洋)認識,またグリフィスとの比較などの考察が求められた.
(文責:裴寛紋,守田貴弘)