【UTCP Juventus】阿部 尚史
2010年のUTCP Juventus第14回は特任研究員の阿部尚史が担当します。
今回、juventus執筆二回目となります。これまでの研究内容(18–19世紀のイランとその周辺地域の歴史を中心にした研究)については、昨年のブログをご参照いただければと思います。
それでは、今回は、現在特に関心を持って取り組んでいるテーマの一つである、19世紀イランにおける婚資と相続の関係について簡単に紹介したいと思います。なおこの内容について、(政治情勢に異変がなければ)この秋に、ベイルートの国際会議で報告する予定です。
婚資とは、アラビア語でマフルmahrまたはサダークsadaqで、英語ではdowry、dower 、またはmarriage giftと訳されています。日本の例に当てはめると、大雑把にいえば、結納金にあたります。つまり、結婚に際して新郎から新婦に支払われるお金(や品物、不動産)を指します。というわけで、持参金の意味をもつdowry, dowerというより、marriage giftの方が適切かもしれません。ちなみにこの婚資は、イスラームが始まる以前から存在し、イスラーム以前の時期においては、「(妻となる)女性を買う対価」と位置づけられ、このお金は、女性の父親や後見人に支払われていました。それがイスラーム法においては、女性自身が取得することになりました(女性の地位が向上したといえるわけです)。
婚資の説明が長くなりましたが、このように、「婚資と相続」と書くとそれなりにもっともらしく見えますが、こうした話題は非常に生臭い話題です。というのも、相続に際しての、お金を巡る家族の争い以外の何者でもないからです。婚資の額は婚姻契約文書に明記されます。婚姻は一面では、売買と同じ法的な「契約」で、文書自体を見ても、形式上は、売買文書や賃貸借文書とあまり変わりません(もっとも、婚姻契約文書は彩色が施されているものもあり、一見ただけで綺麗なものもあります)
(写真1:19世紀の婚姻契約文書)
現在のイランも、婚資は存在します。結婚の時に婚資の額を決めますが、結婚の時には支払われず、離婚の時に支払う契約を交わすのが一般的なようです。ちなみに、イランはデフレの日本と違って激しいインフレに見舞われているので、現在は、婚資を、金貨100枚、200枚という単位で決めます。
(写真2:クルディスタンの結婚式にて。写りが良い写真がなかったので、参加していた女の子たちの写真。真ん中の女の子の派手なショールが、クルディスタンでの結婚式の衣装の象徴)
イランだけでなく、ムスリム(イスラーム教徒)の中には、婚資の制度は見られますが、地域・時代によって非常に様々な特徴を有します。イランについてはほとんどまともに研究されていないので、11月の報告は、現在の婚資制度の成り立ちを考える上でも面白い話になると思っています。報告では、ある人物の遺産目録を分析することから初めて、その債務部分に婚資が計上されていることに注目して議論を展開します。
報告の主要な話題は、死去した男性の妻とその義理の息子と祖母の財産を巡る争訟を基調とします。祖母と義理の息子が協力して継母に婚資や遺留分を渡さない画策をするのに、継母は娘とともに裁判所に訴える、という、橋田寿賀子女史の「渡る世間は鬼ばかり」(今年の秋からのシリーズで終了するそうです)にでてくるような非常に生々しい話です。もちろん、現在のイランでも、嫁と姑の関係は永遠のテーマで、ドラマや小説の題材となって関心を引き続けています。
もちろん、報告ではゴシップを話すわけではなく、「家族の関係は家産との関係性を基調とし、婚資の取得もそれに準じていた」、という点を実証的に論ずる予定です。
(阿部 尚史)
(最後にちょっとした涼感を:2005年の春分直後の雪をかぶるアララト山(ノアの箱船がたどり着いたところとして有名。トルコ領内。イラン・アルメニア国境付近)