【UTCP Juventus】守田貴弘
【UTCP Juventus】は、UTCP若手研究者の研究プロフィールを連載するシリーズです。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開など を自由に綴っていきます。2010年度の第10回目は特任研究員の守田貴弘(言語学)が担当します。
私の研究分野は一言で言えば言語学ですが,ここに至るまでには少しだけ曲折があります.学部の時には東京学芸大学で外国人に対する日本語教育を専門にする傍ら,ほとんど個人的にフランス語の勉強を続けていました.その中で,徐々に言語学そのものに対する興味が強まり,東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻に進学し,2006年から2009年まではEHESS (Ecole des Hautes Etudes en Sciences Sociales)で過ごしました.そして2010年4月からはUTCPの特任研究員としてお世話になりながら,他の分野における「言語」の扱いを目の当たりにして翻弄されるという日々を送っています.
ここでは,自分の今までの仕事を紹介しつつ,何が自分の研究を翻弄しているのか,どういう問題意識を新たに持ち始めているのか,簡単に話してみたいと思います.
今までの仕事,科学的な言語学
近年,最も力を入れてきたのは日本語とフランス語を対象とした移動表現の類型論的研究です.通常,類型論では発生的・地理的な類縁関係にある言語が同じグループ (◯◯語族のように) に入れられるので,日本語とフランス語の対照を行っていると言えば,「そもそも,何か似ているところはあるんですか?」と不思議がられることになります.ときどき,「そんな違う言語比べて,意味はあるんですか」と怒られたりもします.
移動というのは外界現象ですが,それを言語で表現したとき,動詞が何を表しているかで世界の言語は真っ二つに分かれます.日本語とフランス語は,出る,入る,上る,下りる,渡るといった基本的な事象をすべて動詞で表す言語で,動詞の回りにある何か (英語で言えばin, out, up, down, acrossのようなもの) で表す言語とは区別されることになります.もう少し広く言えば,事象の過程を中心に述べる言語と,結果を中心に述べる言語という類型を立てることができる,ということです.そういう意味では,日本語とフランス語は同じ類型に入ることになります.
それでも,やはり日本語とフランス語の間には違いがあります.日本語だと「歩いて行く」「泳いで渡る」のように,移動に付随する様態をけっこう頻繁に表すのに,フランス語では「歩いて」「泳いで」に相当する部分があまり出てこない.日本語では「出て行く」「入って行く」のように話者の視点がしょっちゅう現れるのに,フランス語では同等の表現ができないといった違いです.
データを集め,統計をとり,個別に文を分析する.つまり,科学的手法を使って,これらが検討に値する問題であることを証明し,違いが生じる要因を明らかにするのが,今までの仕事の中心でした.
最近の問題
現在まで,通常の言語学的手法で研究を進めてきて,自分としては面白い結果を出せたと思っています.ですから,何かしら不満というか,心にひっかかるものがあるにせよ,この確立された方法を捨てる気はなさそうですし (他人事みたいな言い方ですが),現に,同じ路線で次の論文に向けて準備をしているところでもあります.
しかし同時に,もう少し何とかしたい,幅を広げるなり何なり,解決を与えたいと思っていることがあります.それは,「科学という枠の中でのみ語り得る言語」についてしか自分は何もできていないということです.哲学者にせよ精神分析の人たちにせよ,みんな言語について何か語っています.そこで語られる言語というものが,自分が研究対象としてきた言語と同じものだとは思えないのです.
言語を使うなかで,自分の言いたいことが曲りなりにも人に伝わることがあれば,どうやっても伝わらないこともあります.気持ちが分かってもらえたと思う幸せな瞬間もあれば,何も届かなかったという敗北感で悲しくなることもあります.同じ日本人を相手にしていながら,「あいつには日本語が通じない」と言ってしまうこともあります.「そういう時にも同じ日本語だ」と考えるのか,「そういう時には違う言語を話しているのだ」と捉えるのか.言語学と,その他の分野で語られる言語論の間には,見えているモノ,見ようとしているモノに大きな違いがあり,どうやらこの溝はけっこう深くて暗いようです.
言語を使うことを通して得られる実際の感覚をどこまで科学としての言語学の研究として生かすことができるのか.空間と観察可能な言語から出発して,どこまで生の言語に踏み込んでいくことができるのか.
それがこれからの重要なテーマになっていく気がしています.