Blog / ブログ

 

【UTCP Juventus】呉世宗

2010.08.25 呉世宗, UTCP Juventus

【UTCP Juventus】は、UTCP若手研究者の研究プロフィールを連載するシリーズです。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開など を自由に綴っていきます。2010年度の第11 回目は特任研究員の呉世宗(在日朝鮮人文学)が担当します。

私はこれまで、在日朝鮮人の詩人、金時鐘氏(きむしぢょん、一九二九年~)の詩について研究してきました。博士論文では、主に『長篇詩集 新潟』(一九七〇)という作品を取り上げ、その分析を通じて「短歌的抒情の否定」という金時鐘氏の中心的な思想を考察しました。

金時鐘氏は、一九二九年一二月八日に元山で生まれ、幼少期に済州島に移住しています。そして一九四九年には日本に渡ってきています。この間、二〇年の間に、氏の詩(作)の骨格を形成する、大きく二つの出来事がありました。

第一に、皇国臣民化政策が頂点を極めていた時期が幼少期と重なっていたために、「国語」=日本語を「母語」として内面化したことです。とりわけ、「徳性」の「涵養」という名目のもとに、学校の「国語」や「唱歌」科目に組み込また日本の詩歌や唱歌からの影響は、日本語を内面化するにあたりかなり大きく作用しました。

私たちも、「唱歌」として歌われた曲のいくつかを間違いなく身につけていますし、もしかしたらいくつかの短歌を諳んじることができるかもしれません。しかしそれがいかなる役割を担い、また感性や身体にどのような影響を及ぼしているのかは、想像するのがなかなか困難です。分かりやすいところを例にとれば、「蛍の光」があります。現在でも歌い継がれ、共通の記憶や感情を喚起させる歌ですが、この曲は歌詞が四番まで作られ、ナショナルな意識を芽生えさせる役割を担っていました。「千鳥のおくも/おきなはも/やしまのうちの/まもりなり/いたらんくにに/いさをしく/つとめよ/わがせ/つつがなく」(「蛍の光」四番)。明らかなように、北海道と沖縄も「やしま」=「日本」の「うち」であることが強調され、その「くに」のために「つとめよ」うと呼びかけているわけです。

詩歌の役割は、さらに踏み込んだものとしてありました。例えば〈身はたとえ草場のかげに朽ちるともとどめおかまし大和魂〉(吉田松陰)のように、文学的イメージ(花が散る)に死の予感を重ね合わせる作品を集め利用することで、抒情を通じて人を死に駆り立ててさえいったからです。抒情が国家権力と共犯関係を結んだとも言えます。実際、戦時中に、国のために散る=死ぬことを美しく飾り立てる散華的思想を支える形象として「花」が利用されたことは、周知の事実です。

さらにもう一つ指摘しておくべきこととして、唱歌や短歌による心的秩序への影響が、自己と自己を取り巻く環境の間の不調和をもたらすということがあります。

例えば「夕やけ子やけ」や〈うらうらとのどけき春の心より~〉(賀茂真淵)からは、夕暮れ時の烏の鳴き声や寺の鐘の音が、家に帰る子供たちの姿やその家のたたずまい、あるいは麗らかなある春の日や、桜が散っていく姿がイメージされると思います。

情景を詠み、歌うことは、一見自然な行為です。ですがその自然のイメージは、日本を離れて他の場所にもたらされると、風景を描き出すことやイメージされる景色が自然なものではなく文化的に規定されたものであることが顕わになります。風景の表現が定型化すれば、情感と風景の間に循環が生じ、情感が定型的な風景を引き寄せるという事態も考えられます。

金時鐘氏は、自然のイメージが共有されていない場所=朝鮮で、唱歌や短歌を「頬もめげよとばかり」歌うことで、自分自身とその身を置く場との齟齬も経験しています。のちに金時鐘氏はそのことを、「不幸な時代」の記憶が、日本語によって「日溜まり」のように「色どられ」てあると表現しています(金時鐘「日本語の石笛」『わが生と詩』、岩波書店、二〇〇四年、五一頁)。不幸なはずの時代を「日溜り」のように明るく色づけてしまうこと、それは自己を自らが拠って立つところの場から隔たらせることであったはずです。

つまり認識や感性への影響だけでなく、実存とそれを取り巻く場との齟齬を引き押したのが、日本語受容の経験だったのです。そのような日本の近代詩歌の持つ力を、金時鐘氏は「短歌的抒情」と呼びます。その「短歌的抒情」は、自覚されないまま思考や認識を制御するものであるため、現在においても言語化することが非常に困難な問題として残されています。

関連して金時鐘氏の詩を形作る第二のものとして、氏自身が直接経験し、また同時代的に目撃した、数多くの歴史的出来事があります。植民地での経験だけでなく、朝鮮戦争、吹田・枚方事件、朝鮮民主主義人民共和国への帰国事業、浮島丸事件、そして済州島四・三事件などがあり、列挙するだけでも金時鐘氏が歴史の裏側を歩いてきた詩人であることが分かります。しかしその中でも済州島四・三事件は、この詩人の生と詩の核となっています。

済州島四・三事件とは、一九四八年から六年以上に亘って繰り広げられた、米軍政統治下での韓国側単独選挙に反対する島民の武装闘争と、警察・軍・右翼青年団による島民の大量虐殺事件のことです。金時鐘氏はその時期、パルチザンの一員として活動していましたが、殺される寸前に日本に逃れてきています(近年に至り、金時鐘氏自身によって証言がなされました。詳しくは金石範・金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』(平凡社、二〇〇〇年)をご参照ください)。私が主に論じた『新潟』でも、その第二部は四・三事件の詩的証言となっており、作品の中心となる個所です。

以上二つが金時鐘氏の詩の骨格を作るものです。先に朝鮮という場と日本語的身体が感性や認識の歪みと、実存と場の齟齬を引き起こしたと述べました。金時鐘氏は日本語を日本語ではないように用いることで、感性や認識を異化すること、既存のイメージを越えて自らが経験し目撃した歴史的出来事を新たな様相で提示すること、それにより自己と環境との隔たりを乗り越えようとします。そのために金時鐘氏が選び取った方法が、「短歌的抒情の否定」というものです。

「短歌的抒情の否定」ということで目指されるのは、日本語による詩作を通じて言語を内側から変質させることで「短歌的抒情」を解体し、それにより自己と世界の断絶を繋いでいく新たな抒情を創出することです。その意味で金時鐘氏の目指す抒情は、反抒情としての抒情です。

「短歌的抒情の否定」とは何か、その実践は認識を、感性を、自己を、日本語をどのように変えていくのかを金時鐘氏の作品の分析を通じて考察したものとして、『リズムと抒情の詩学―金時鐘と「短歌的抒情の否定」』を近日出版します(生活書院、二〇一〇年九月一〇日ごろ。序文=鵜飼哲先生)。ご関心があれば、お手にとって読んでいただけると幸いです。また金時鐘氏の日本語との格闘は現在でも続いており、その成果が詩集『失くした季節―金時鐘四時詩集』(藤原書店、二〇一〇年二月)として結実しています。すばらしい詩集ですので、入手されることをお勧めいたします。

Recent Entries


↑ページの先頭へ