【UTCP Juventus】数森寛子
【UTCP Juventus】は、UTCP若手研究者の研究プロフィールを連載するシリーズです。ひとりひとりが各自の研究テーマ、いままでの仕事、今後の展開などを自由に綴っていきます。2010年度の第6回目は特任研究員の数森寛子(フランス地域文化研究)が担当します。
19世紀のフランス文学、とりわけヴィクトル・ユゴー(1802‐1885)の作品を中心に研究を続けています。ユゴー研究を始めたきっかけは学部生時代、フランス語の必修授業でその詩を読んだ経験に遡ります。フランス本国では、ユゴーはこれまでに最も研究がなされてきた作家の一人で、その研究を続ける上では多くの困難もありました。複数の専門領域を横断、接続するような研究の必要性をひしひしと感じる昨今ですが、私の現在の研究は「ヴィクトル・ユゴー研究」を掘り下げる段階にあります。あらゆる意味において、ユゴーはやはり巨大な作家なのです。とは言え、ひたすらユゴーについて考え続けていると、この作家を通じて研究の関心や視野は否応なしに広げられ、それを押さえることは逆に難しいことでもあります。目下執筆中の博士論文が完成したならば、あらためて、自分の研究により大きな枠組みを与え直したいと思っています。
現在行われているユゴー研究の方法を、その対象によって、大きく次のように分けるとします。①ユゴーという作家の伝記的研究、②ユゴーの作品研究、③ユゴーの作品を原作とした戯曲、オペラ、映画といった他芸術への翻案の研究。これらは互いに独立したものではありえませんが、私が重点を置いているのは②の作品研究です。中でも、とりわけこの作家の作品における廃墟の表象について研究を重ねてきました。
この廃墟の表象の研究は、卒業論文から取り組みはじめたものです。その後、2004年の修士論文「『ノートル=ダム・ド・パリ』論 建築・民衆・国家」では、この作家が、当該小説(決定版の出版は1832年)を通じて、当時、芸術的価値が十分に認識されていなかった、ゴシック建築の価値を称揚することを意図した点に着目しました。フランス革命に端を発した建造物破壊運動(ヴァンダリスム)は、1830年の七月革命以降再燃し、中世建築を、教会権力と封建制の象徴と見なし破壊の標的としたのですが、その結果、多くのゴシック建築は破壊と消滅の危機に晒されることになりました。こうした動向に歯止めをかけるため、ユゴーは七月王政期に、政府の組織する歴史的建造物保護委員会に参加し、中世建築に関するテクストを数多く残しているのです。そこから、本論文では、これらのテクスト群と『ノートル=ダム・ド・パリ』との連関性を詳細に検討し、七月革命直後の動乱の時代に完成されたこの小説の中に、フランスの国家アイデンティティーの構築の目論見を読み取ることができることを論じました。
同論文の執筆を経て、ユゴーが中世建築にとどまらず、バベルの塔や崩れ落ちる巨大な壁、あるいは難破船や暴動のバリケード、波に浸食される海岸など、広範な建造物の「廃墟」を生涯にわたって作品に描き続けている事実を改めて認識し、こうした廃墟に対する作者の思索の総体を捉え、それがいかなる位相でこの作家の歴史思想と結びついているのかを明らかにしたいと考えるようになりました。博士課程に進学してからは、ユゴーの作品における廃墟の表象の分析を起点として、19世紀フランス文学が廃墟に付与した歴史的・社会的意味を網羅的に考察し、時代思潮の中でのこの作家の思想の独自性を解明することを目的とした研究を行っています。まず、この作家の作品を精読し、詩、小説、戯曲、評論、日記、断片集といった複数のジャンルに渡る作品群から、廃墟に関連する主題を抽出しました。続いて、テクストの歴史的コンテクストを明らかにすることに主眼を置きながら、廃墟の表象やそれへの考察を含む他の作家の文学作品、新聞や雑誌に掲載された論考をはじめ、歴史家の著作や、議会演説等の分析を行いました。
フランス語で「廃墟 ruine」という語は、一般に、破壊された事物としての廃墟を指す場合には複数形で用いられ、単数形で用いられる際には、観念としての廃墟、あるいは廃墟を生み出す破壊の運動そのものを指します。博士論文ではユゴーの作品に現れる廃墟のテーマをこの二つの側面において検討し、作家のオブセッションとしての「廃墟」のヴィジョンが、時代思潮や社会状況との密接な連関から生み出され、発展してゆく過程を、同時代の他の作家との比較を多く取り入れながら考察しています。ユゴーの作品において、崩壊を運命づけられた「廃墟」とは、人間を含むあらゆる存在、事物、空間が属する、普遍的現実であり、歴史と時間をめぐる思索を可能にする、根源的なヴィジョンであると考えています。
19世紀フランスにおける「廃墟」という大きなテーマを扱うために、私の研究は、廃墟の主題が内包する、建築学的関心に還元されない部分にテクスト分析の焦点を合わせています。その上で、崩壊へと向かう建築であり、あらゆる建築的な価値の解体―そこにはブルボン王朝の歴史的連続性の断絶や、巨大な構築物としてのナポレオン帝国の崩壊が抽象化された形で示されている―を必然的に想定させるものとして、廃墟のテーマの総体を捉え直そうとしています。廃墟を前にした哲学者・詩人の夢想という、18世紀に隆盛を迎え、ロマン主義時代に再来を見る文学的主題が、度重なる革命と戦争を経験する激動の時代を経て、根本的に変容していく過程の詳細を明らかにしたいと考えています。