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【報告】バタビヤルさん講演会 "Secularisation and the Political: The Indian Context"

2010.08.30 阿部尚史, セミナー・講演会

2010年7月15日(木曜日)、東京大学駒場キャンパスで、インド・ジャワハルラル・ネルー大学のラカシュ・バタビヤルさん(インド近現代史)をお招きして、“Secularisation and the Political : The Indian Context”(世俗化と政治的であること: インドの文脈で)と題するご講演をいただいた。

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バタビヤルさんは、現在、東京大学情報学環に客員教授として研究・教育活動に従事し、この8月にご帰国される予定である。近著として、Communalism in Bengal: From Famine to Naokhali, 1943–47, New Dehli, 2005がある。

本講演では、最初に、世俗化secularization、世俗主義secularism、世俗secularの違いいとその概念の定義を、カール・シュミットの政治論を批判的に検討しつつ、またチャールズ・テイラーの最近の世俗化に関する議論なども利用しながら論じた。バタビヤルさんによれば、3者の中で最も議論が分かれているのは「世俗化」であり、時間的な幅、社会の変化、変化の様相など、様々な論点で、異なる意見が見られるという。世俗化の中でも本講演で注目したのは、世俗化の政治的概念である。氏はインドの世俗化を、グローバルな文脈で見られる現象とは別のものと考える。

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後半では、バタビヤルさんは、インドを事例として世俗化の傾向を議論した。氏は、しばしば、インドの多様性に言及した上で、その政治的な統合が絶妙なバランスの上に成り立っており、僅かながらの過激派分子の存在や、宗教の名のもとに行われるテロリズムは、そのシステムを揺るがしかねない点を指摘する。ヒンドゥー教などする東洋の宗教は、セム的一神教とは異なる。従って、ヨーロッパで議論される世俗化とは、インドの文脈には馴染まないという。実際、ヒンドゥー、ムスリム、キリスト教徒などの宗教グループから、西洋的な世俗でない、世俗的国家を指示する、という主張が見られるという。一連の議論を踏まえて、バタビヤルは、インドにとっての世俗化を、「全てのグループ、全ての個人にとっての良い生活のための空間を構築すること」と捉える。そして、インドにおいては、世俗化と民主主義は強く結びついているという。民主政治は、個々のグループや個人に、良い生活という概念をもつことを許容するためである。

最後に、バタビヤルさんは、極めて多様なインドの社会における安定と安全を担保するためには、民主主義と世俗化が不可欠である点を指摘して講演を締めくくった。

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質疑においては、現在インドを統合している要因や、講演の中で取り上げられた1830年代に活躍したラーム・モハン・ロイの「宗教」観や、エスニシティと原理主義の関係性などに関して質問が出され、刺激的な議論が続いた。

バタビヤルさんは講演の中で、世俗化を巡る議論は、社会学者や宗教学者、文化人類学者が中心に行われており、歴史研究者の協力が少ない、という問題を指摘した。歴史学研究の意義を見直すためにも、この分野の強みである実証性を生かして、世俗化論に貢献する必要を強く感じた。

阿部尚史(UTCP・PD研究員)

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