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【報告】UTCPレクチャー「ヴュイヤールの《公園》と象徴主義」

2010.08.06 小澤京子, イメージ研究の再構築

2010年7月26日、駒場キャンパスの18号館ホールにて、現在オルセー美術館館長を務めるギ・コジュヴァル氏によるレクチャーが行われた。

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【講演中のコジュヴァル氏】
 
氏はナビ派の画家ヴュイヤール研究の第一人者であり、2008年より現職にあ 
る。今回のレクチャーでは、日本では未だよく知られているとは言いがたいヴュイヤールの装飾パネル連作《公園》(1894)を主題に、その制作背景から図像学的な影響・類縁関係、当時の文学界からの影響までを、ときに精緻に、ときに縦横無尽な想像力に基づき語ってくださった。なお、9枚の連作である《公園》の内5枚は、8月16日まで国立新美術館で開催中の「オルセー美術館展2010-ポスト印象派」に展示されている。

氏の講演は、室内装飾画家、そして舞台芸術家としてのヴュイヤールから始まる。ナビ派にとって、室内装飾画はジャポニスムと並んで、彼ら固有の表現形式に影響を及ぼした要素であった。また、戯曲上演の際に舞台装飾を手掛けたことを通して、ヴュイヤールはイプセンやストリンドベリ、メーテルランクらベルギーを中心とした象徴主義の文学者たちと交流を深め、その作品世界の影響を受けていく。

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【ヴュイヤール《公園》の3枚のパネル(縦213.5cm)】

《公園》連作制作時のヴュイヤールは27歳、パリの「前衛」たちにのみ知られた存在であった。彼の作風は実験的であり、当時のポスト印象主義の画家たちと強い影響関係(色彩・点描)を結びつつも、特異性を帯びたものであったとコジュヴァル氏は指摘する。彼はスーラやシニャック以上に点描を突き詰め、最後には事物の輪郭を融解させ、「オールオーヴァー」な画面を産出してしまうと言うのである。

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【《公園》のための準備素描】

続いて氏は、《公園》連作を構成する諸モティーフが、様々な源泉から汲み出されたものであることを指摘する。ヴュイヤールは幼少時よりパリの様々な公園に赴き、そこで長い時を過ごした。その証左に、日記帳に描き留められたスケッチとして、あるいは準備素描として、パリの種々の公園や広場を描いた図版が数多く残されている。それらは《公園》連作を構成する9枚のパネルへと援用されることとなった。ここには都市の中の様々な生が描き出されており、同時に画家自身の公園での経験が、いわば自伝的に投影されてもいる。

しかしこの作品を構成するのは、実景に基づいたイメージばかりではないとコジュヴァル氏は言う。氏はまず、パリの中世美術館に収められているタピスリー《貴婦人と一角獣》からの借用を指摘する。さらに、この連作壁画が有する「連続的な物語の展開」としての性質に、15世紀から18世紀にかけてのイタリアの物語画(マンテーニャからティエポロまで)からの影響を見てとる。

氏によれば、ヴュイヤールは他にも、フランスの画家ル・シュウールやこの連作の発注者であるアレクサンドル・ナタンソン所蔵のフラゴナール作品、パリ、ブリュッセル、オランダの各地で目にしたフランドル絵画などの古典的名作から、様々なモティーフ、更には分割された各画面の配置バランスを借用し、この《公園》連作を作り上げたのである。氏はさらに描画モティーフとの連関を、バンド・デシネの草分けで『タンタン』シリーズで有名なエルジェのイラストにまで見つけ出してみせる。

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【ジェラール・ダヴィドによる聖母子のトリプティック】

《公園》連作に描かれているのはしかし、現実に参照項を持つ対象ばかりではない。薄桃色のウサギの着ぐるみを着た人物や黒い小さな道化師などは、非現実めいた様相を帯びている。さらに連作の内の一枚《子守り》の左端に描かれた、日傘を差し白い布に包まれた乳児を抱く母親像には、画家の身辺で起きた赤子の死への象徴主義者めいたメランコリックな瞑想と、ムンクの描く梅毒に冒された赤子といった様々な作品世界との、多重的な反映を見てとることができる。

イメージの多重性という性質は、この作品の舞台であると同時に描画主題そのものでもある「公園」にも顕われている。すなわち、ここではある特定の公園ではなく、画家が経験したパリの複数の公園の姿が描き出されているのである。恒久的な楽園、そして自然と人間の循環を繰り返す生と死という観念がこの装飾的な連作を支配し、身近で起きた死の不幸を償っているのである――と、コジュヴァル氏は詩的な表現で本作のイコノロジー分析を締めくくる。

実証的な歴史研究に裏打ちされつつも、ときに詩情豊かな言葉で作品世界を描写し、ときに美術館館長としての作品展示に掛ける情熱と自信を感じさせる氏の講演は、投影された図版の美しさとともに、聴衆を惹き込むものであった。

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【会場風景】

続く質疑応答では、会場からも熱のこもった問いが次々と提起された。ヴュイヤールの使用した絵の具と制作プロセスへの問い、ひと続きの画面が「分断」され間隔を置いて展示されること――トリプティック形式の踏襲――が観者にもたらす印象について、室内画における「壁紙」の紋様がもたらす視覚的効果、『失われた時を求めて』の画家エルスチールのモデルがヴュイヤールであるという通説の是非(ちなみにコジュヴァル氏はこの見解に否定的である。ヴュイヤールの世界はプルーストとはむしろ対立的であり、画家に影響を与えたのはむしろマラルメだというのが氏の説である)、舞台装飾家としての経験が画業に与えた影響、などなど。氏はこれらの質問を糸口として、更なる分析や読解を展開してみせた。

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【質問に答えるコジュヴァル氏】

オルセーをはじめとする近代美術館の改修工事が相次いだこともあり、今年は史上例を見ないほど大量のフランス近代絵画が日本で展示されている。UTCPセミナー「ナビ派の再発見――美術史と趣味の変遷」、国際シンポジウム「「エドゥアール・マネ再考――都市の中の芸術家」に続く本レクチャーは、この芸術作品をめぐる一種の「祝祭」へと捧げられた、一連のオマージュを構成していると言えるであろう。

[今回のコジュヴァル氏の招聘については日本経済新聞社にご協力いただいた。記して感謝申し上げる。]

(小澤京子)

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