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【報告】UTCP日本思想セミナー「東アジアにおける時間と歴史の境界画定」

2010.07.06 中島隆博, 金原典子, 日本思想セミナー

6月17日にステファン・タナカ氏(カリフォルニア大学サンディエゴ校)による講演会、「東アジアにおける時間と歴史の境界画定」(原題:"Time and the delimitations of History in East Asia")が開催された。タナカ氏は、歴史叙述において「時間」の歴史性に自覚的であることを主張された。以下にまず講演の概要を記す。

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今日私たちが認識する「時間」は、十七世紀から十八世紀にかけてニュートンにより提唱された均一で自然に後に続いていく「古典的な時間」(classical time)である。このような時間は、19世紀から20世紀にかけて、植民地化を通じて世界中に広がり、近代における歴史叙述/認識を規定してきた。そしてまた、人々が将来を想像する上での可能性も限定してきた。直線的にのび、世界中が共有する一本の時間軸 (single linear time) において、我々(タナカ氏によれば、アメリカ及びポスト産業社会に生きる人々)は先に進んでいるが、非西洋(the non West)又はアジア (Asia) はまだ追いついていないと捉えられる。この基準に従うならば、同じ時間軸において先に進めば進む程よい、ということになるからだ。こうした枠組みの中では、非西洋の人々は、自分達は「未だに完成されていない、西洋に追いつかなければ」という考えを抱くことになる。いわば非西洋は、西洋を想定した将来に向けて発展・前進しようとする。本来流動的な時間性は、西洋/非西洋のこうした対立の中で固着化していく。すなわち、場所(place)の認識・創造において、時間は特定の場所に結びついた固定したものとなっていく。非西洋はいまだに過去の存在であり、西洋こそが現代的な存在なのだという認識がそこから生まれる。その意味で、近代化論は決して過去の話ではなく、その根本は「第三世界」(the third world)、「原始的」(primitive)、「発展」(development)と言った言葉と共に生き続けている。

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19世紀後半日本の国家形成のために、ニュートン的な時間を基に時系列を用いた歴史叙述が知識人によりなされた。それまで散漫し不安定であった複数のコミュニティーを日本として統一し、国家の正当性を肯定するための新たな歴史が必要とされた。それまでに継承されてきた考え方やしきたりは「死んだ過去」とされ、より素晴らしい(西洋のような)一国家の将来が想定された。新たな歴史は、あたかも「日本」が永遠に存在するという認識を作り、人々を「日本人」とし定義し、「日本人は、○○である」という考え方を生み出すことで、人々の行動と想像力を規定した。近代化に際して創設された抽象的な枠組みが、人々の具体的な現実を意味づけ始め、それは現代においても続いている。

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こうした均質な「近代化」を、どのように批判すればよいだろうか。実際のところ、世の中には一つの時間軸しか存在しないわけではなく、多様で流動的な時間が存在する。つまり複数で流動的な時間を反映する枠組みが必要である。現時点で新しい歴史叙述を提案することはできない。しかし、重要なのは時間の歴史性に自覚的になることであり、既存の抽象的枠組みまたは思想に合うように現実を捉えるのではなく、具体的な人間の経験に基づく歴史叙述をすることだ。
以上のような趣旨の講演の後に、質疑応答が行われた。なぜいまだに時間の歴史性について語らなければならないのか、という質問に対してタナカ氏は、近代社会への批判は数百年されてきたが未だに研究者の間で実践が伴わないからだと答えられた。抽象的・理論的な話が多かったが、具体性を把握するための一次資料に基づいた調査はどのくらいされているのかという質問に対しては、一次資料を丁寧に見る時間は大学にいるとあまりないが、今までに蓄積してきた資料があると答えられた。また、帝国主義的でない形での世界史や、それぞれの地域における具体的な差異を叙述するにはどうすればよいのか、といった質問があった。これらの質問に対しては、それぞれの地域の歴史と、地域横断的な貿易ルート間の関係や、そうした関係自体の萌芽期についての認識など、多様な側面を学際的に見ていくことが重要だと答えられた。

(文責 金原典子)

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