Blog / ブログ

 

【報告】UTCPレクチャー「20世紀イタリア文化におけるルドヴィコ・ジェイモナット」

2010.07.06 村松真理子, 小林康夫

ミラノ・ビコッカ国立大学、ステファニア・バンディーニさんを迎えての、ルドヴィコ・ジェイモナットと20世紀のイタリア文化・思想をめぐるセミナー。

彼女は、ミラノ大学で哲学の学位を取得後、いわゆる「理系」のコンピュータ・サイエンスの博士課程に進み、現在もその分野を専門としていて、現在「群衆学」「渋滞学」の共同研究で来日中である。その歩み自体が、今回のテーマであるルドヴィコ・ジェイモナットの影響下にあり、それは彼女に限らず、現在も活躍しているイタリアのサイバネティックス、情報等の分野のサイエンティストたちの何人ものケースにあてはまる。それでは、ジェイモナットとはどんな「師」だったのか、彼の置かれた状況とは、彼の抵抗の対象とは何だったのかについて、話してもらった。

100624_Bandini_Picture_%2842%29.JPG

ルドヴィコ・ジェイモナットは1908年生まれ、トリノ大学で哲学と数学で学位を取得した。反ファシストとしてレジスタンスに参加し、大学で教鞭を取ったのは戦後1952年だった。パヴィア大学に続いて、56年以降教えたミラノ大学でイタリア初の「科学哲学」の講座を担当した。

100624_Bandini_Picture_%2832%29.JPG

当時のイタリアは、ファシストは一掃されたものの、教育・学問の制度としては、ジェンティーレ法の下のそれと大きく変わるところがなかった。これは、哲学者ジェンティーレがファシスト政権下に大臣として1923年に実現した学校制度全般に関わる法律で、人文系科目の重視、高等教育のエリート性等の特徴がある。これが結局1968年の社会変革まで、もちこされることになったのが戦後イタリアの学問思想の状況にも大きかった。また、ジェンティーレがファシスト政権に参画することを選択したのに対し、クローチェはそれに反対する立場を取ったが、クローチェの歴史哲学と観念論の影響からいかに解放され、またファシズム20年間の閉鎖的状況から脱するかが、思想・人文学の戦後の課題だった。それに合理主義者として、コミュニストとして取り組み、哲学研究における科学史、科学哲学の重要性を主張し、ガリレオ研究をはじめとした分野で新たな視点を導入しながら、教育制度、カリキュラムの改革にも、自然科学や論理学、認識論などの重要性を主張することで大学人として関わろうとしたのが、ルドヴィコ・ジェイモナットだった...

100624_Bandini_Picture_%2829%29.JPG

ジェイモナットの業績は、哲学思想史の分野に大きいが、その教育的な影響力と知識人としての社会との関わりこそ、20世紀後半のイタリア思想に大きな足跡を残したのだということを、このセミナーで考えさせられた。実は、クローチェの仕事の大きさ、その存在の重さこそが、ファシスト時代の閉鎖的状況の負の遺産ともども、ポスト・クローチェの困難を生んだこと、そしてその地点こそがイタリア現代思想の出発点だったことが、浮かび上がった。それが現在様々に繰り広げられている思潮に共通するスタートだったことを再認識するとともに、ジェイモナットはじめ、ボッビオ、パレイソン、エイナウディ、ギンズブルグ等が集い、学び、戦後のイタリア各地での哲学・思想・文学の新たな拠点とそれを担う次の世代(カルヴィーノ、パヴェーゼ、エーコ、コルティ、セグレ、ヴァッティモ、カッチャーリ、ジヴォーネ等)を育てることになった20世紀初頭のトリノの知的発信力についても考えた。今後さらにそのイタリア現代思想の系譜をたどりつつ、新しい知と出会えることを期待させるセミナーだったと言えるのではないだろうか。

(村松真理子)

Recent Entries


  • HOME>
    • ブログ>
      • 【報告】UTCPレクチャー「20世紀イタリア文化におけるルドヴィコ・ジェイモナット」
↑ページの先頭へ