【報告】講演シュロモー・サンド「イスラエル――ユダヤ国家と民主国家の両立は可能か」
『ユダヤ人の起源』を刊行したシュロモー・サンド氏(イスラエル、テルアヴィヴ大学)が来日し、UTCPなどの共催によって講演会「イスラエル――ユダヤ国家と民主国家の両立は可能か」が開かれた。
同書は、イスラエルにおいてヘブライ語で刊行され大きな反響を呼び、日本語も含めて世界各国に翻訳された。今回は、日本語訳の刊行に合わせての来日となった。
講演タイトル原題のJewish and Democraticというのは、イスラエルで建国以来の古典的な議論でありながら、現在でも常に論争となっているホットなテーマである。すなわち、イスラエルは「ユダヤ人国家」なのか「民主国家」なのか、あるいはその二つは両立するのか。イスラエルのメインストリームの人びとは、断固としてイスラエルはユダヤ人のためだけの国家であることに執着し、同時に「中東唯一の民主国家」であることを自任する。すなわち、Jewish and Democraticはandで両立するというわけだ。実際のところ、基本法体系の一つをなす独立宣言には、その両方が明記されている。イスラエルは世界中のユダヤ人が移住してその国民になることができる、ということと、イスラエルの住民は宗教や民族によって差別されることがない、ということが二つながらに記されている。
前者の規定は、イスラエルがそこに産まれたわけでもなくそこに住んでもいない外部のユダヤ人と特権的な関係をもつという、民主主義とは相容れないものとなっている。後者の規定は、建国後から現在にいたるまで一貫して国民の20パーセント前後の人口を占めているアラブ・パレスチナ人(イスラエル国籍でムスリムやキリスト教徒のアラブ人)を主として念頭に置いたものである。サンド氏の基本的な立場は、前者の規定を非民主的かつ無根拠なものとして排除しつつ、後者の規定を徹底させることで真の民主国家へとイスラエルを変えていこうというところにある。
とりわけ、「ユダヤ人」が「ネイション(民族)」をなすということそのものが近代シオニズム(ユダヤ・ナショナリズム)による捏造であり、世界のユダヤ教徒は歴史的には血統的になんら繋がりをもつものでもなく、パレスチナ/イスラエルの地にルーツをもつものでもない。にもかかわらず、19世紀末に始まるシオニズム運動が、ヨーロッパの民族実体を想定するナショナリズムの影響を強く受け、さまざまな神話や科学の理論を利用して、「ユダヤ人=ネイション」という観念をつくりあげたのだった。
逆に、イスラエルにおいてIDカードに記載される「ナショナリティ(国籍)」欄には、「イスラエル」が存在しないことにサンド氏は着目する。イスラエルにおいてナショナリティは、「ユダヤ人」「アラブ人」「ロシア人」等々となるというわけだ(もちろんみんなイスラエル国籍者である)。国家であるはずの「イスラエル」がナショナリティとして認められないというのはおかしなことではないのか。サンド氏は、イギリスやスペインやイランなどの事例を挙げながら、実は世界中の多くの国家において多民族複合国家であることはむしろあたり前のことであり、イスラエルもアラブ系市民や定住外国籍労働者などの実態を反映させれば、実のところそうした国々と同様である、と指摘する。
ユダヤ人はネイションではないという神話批判と、イスラエルは多民族複合国家であるという事実認識から、サンド氏は、イスラエルを、「世界のユダヤ人のための国家」ではなく、「そのすべての住民のための国家」に変えるべきだと主張する。すなわち、ユダヤ・ネイションではなく、イスラエル・ネイションへと切り替えるべきだと。
ところが2000年以降の現状では、イスラエルの世論は右傾化しており、イスラエル内でアラブ系国民の多いガリラヤ地方をイスラエルから切り離してパレスチナ自治区にしてしまえ(バーターでユダヤ人入植地をイスラエルに併合)とかそうしたアラブ系国民をイスラエルから追放してしまえと主張する政治家が人気を集め、新しいエスニック・クレンジングの危機が見えている。サンド氏の主張は、そうした趨勢に対してリベラリズムでもって抵抗しようとするものと言える。
なお、以下は本報告を書いている早尾からの指摘である。
サンド氏の立論は、排外主義的風潮に対する批判としては貴重なものであり、こうした主張がイスラエルのなかで流通することそのものは、大事なものと言える。しかし、現在の線引きのイスラエル国家を是認するという点で、そうした立場は、サンド氏も認めるとおり、シオニズム左派のものである。西岸地区やガザ地区の占領は否定するが、イスラエルが建国されたことによって追放されたパレスチナ難民たちの帰還権も否定され、イスラエルは現在住んでいる人びとのみが正統な国民とされる。パレスチナ難民の帰還を認めること、および、被占領下にあるパレスチナ人たちに対等な市民権を与えること(いわゆる一国家解決/バイナショナリズム)は、マジョリティのユダヤ系イスラエル市民には受け入れ難く、「非常識・非現実的」であるという。
だがこれが意味するのは、アラブ・パレスチナ人は、あくまでマイノリティであるかぎりでのみ、その存在を認められるということであり、支配的民族としての「ユダヤ系」の存在を民族的実態として認めてしまっていることになるのではないか。
そうした思想傾向は、シオニスト左派であったアイザイア・バーリンやその弟子でイスラエルの政治家となったヤエル・タミールなどの「リベラル・ナショナリズム」あるいは「リベラル・シオニズム」と同質のものであることも付け加えておきたい。
サンド氏の『ユダヤ人の起源』を書評した早尾貴紀「ユダヤ・ナショナリズム神話の解体からイスラエル・ナショナリズムへ?」(『インパクション』175号)も参照のこと。