【報告】UTCPレクチャー「哲学ディシプリンとしての美学の誕生」
2010年6月4日、パリ第4=ソルボンヌ大学教授ジャクリーヌ・リシュテンシュテイン氏による講演が行われた。今回はソルボンヌと日本の諸高等教育機関との協力関係樹立という公務を帯びて来日された由で、多忙なスケジュールの合間を縫っての(しかし充実した)レクチャーとなった。
【ジャクリーヌ・リシュテンシュタイン教授】
リシュテンシュテイン教授はとりわけ古典主義期(17世紀)フランスの芸術理論の緻密かつ大胆な読解で知られるが、今回の講演では視野を拡げ、美学の歴史を辿りなおされた。中心となる地域はドイツとフランスである。
今日美学は哲学の一部門として確固たる地位を占めている。しかしそこに至る道のりは決して平坦なものではなかった。周知のとおり、近代的ディシプリン(学問領域)としての美学 esthétique, Ästhetik は、ライプニッツ=ヴォルフ派の哲学者バウムガルテンの著書 Aesthetica (1750年)をもって嚆矢とし、ほどなくドイツでは一種の知的流行となるのだが、同時にカント、ヘーゲル、シェリングといった錚々たる論者たちがその正統性や存在意義を疑問に付す。バウムガルテンは Aesthetica を「可感的なもの aisthetike 」の学として構想し、美、趣味、自由学芸(芸術)をその対象として定めた。それがはたして哲学の名にふさわしいかどうかが争点となったのである。
いっぽう19世紀に入って美学をフランスに移植する動きが始まると、今度はこの学の「哲学性」が烈しい抵抗を引き起こすことになる。というのも、フランスには美に関する二種類の言説がすでにあり、いずれも哲学とは無関係だったのである。第一に、実際に創作に関わる者たちの手によって練り上げられた実践的な理論。この面で代表的なのは17世紀から王立絵画彫刻アカデミーで開かれていた月例討論会の伝統だ。ついで、非実作者(いわゆる「愛好家 amateur 」)たちの、より思弁的な理論。ここには『詩画論』(1718年)のデュボスらの仕事が含まれる。第二に、18世紀半ば以降の美術批評の系譜。これら二つの言説は内容や形式がおたがいにかなり異なるものの、いずれも哲学とはひとまず独立した形で発達したという点が共通している。ゆえにバウムガルテン以来の美学が新たなディシプリンとして導入されたとき、フランス固有の伝統に比べてあまりに観念的で生硬、あまりに「哲学的」「ドイツ的」なアプローチとして反発を呼ぶことになったのである。
こうした状況が多少とも変化するにはほぼ一世紀もの時間が必要だった。1864年、批評家 H ・テーヌが国立美術学校の「美学・美術史」教授に就任し、以後20年間その座にあって思想界・文壇に大きな影響力を行使したり、さらに時代が下った1905年には、コレージュ・ド・フランスが「美学・美術史」講座を新設するといった動きが見られたとはいえ、後者の時点でも美学は高等教育のなかで市民権を得ていたとはいえない。たとえばポール・スリオーは1907年、当時有力だった雑誌『心理学年鑑』に一文を寄せてリセ(高校)における哲学教育の改革を提唱し、美学の授業をカリキュラムに含めるべきであると説いている。また、「オーソドックス」たるソルボンヌ(パリ大学)が「美学・芸術学」講座を設置したのはようやく1921年になってからのことであった。
(ちなみに日本への美学の紹介は中江兆民によるE・ヴェロン『美学』の翻訳[原著1878年、訳題『維氏美学』1883–84年]に始まるが、リシュテンシュタイン教授は講演のなかでこの点にも触れられた。ヴェロンの著書は出版当初一種のベストセラーとなったにもかかわらず、その後本国フランスでは忘れ去られ、教授も数年前、たまたま古本屋で手にするまではまったくその存在を知らなかったという[現在では教授の序文を付して復刊されている⇒こちら]。)
紆余曲折を経はしたものの、今日美学はむろんフランスでも人文学の重要な一部門として認知されるにいたっている。しかしながら、当初この学を取り巻いていた曖昧さが払拭されたわけではない、とリシュテンシュタイン教授は指摘する。そもそも美学とは何であるかという定義からしてますます多様化している。美学とは美に関するさまざまな学説(言説)の歴史のことであるとする者もいれば、具体的な芸術作品から出発してなされる思弁こそが美学なのだと考える者もいる。英米の分析哲学の影響のもと、論理学の一分野として美学を規定する立場も無視できない。さらに近年では、脳科学や認知心理学の成果を取り入れようとする潮流も現れてきている。私自身、これから美学がどうなっていくのかまるで見当がつかない、と微笑まじりに述べて教授は講演を締めくくった。
つづいて質疑応答の時間が設けられた。司会をつとめた小林康夫・拠点リーダーは講演内容を、「ドイツからの異物」がフランスに移植され、徐々に溶解・浸透していく歴史的プロセスと捉えなおしたうえで、フランスの場合、逆に哲学が美学化するといった事態も見られたのではないかと尋ねた。これに対してリシュテンシュタイン教授は全的な賛意を表しつつ、美学はなるほどつねに一種アイデンティティ・クライシスとでもいうべき状態に置かれてきた、しかしそれを言うなら哲学の歴史そのものが漸次的・恒常的なアイデンティティ解体の過程なのではないかと述べられた。
他にも独仏哲学における規範的芸術ジャンルの違い(前者は詩、後者は絵画)や、精神分析における実践と研究の関係との比較、またイギリスの美術批評家ラスキンの知的系譜などをめぐって複数の興味深い質疑が交わされたものの、ここでは残念ながら割愛せざるをえない。また講演そのものが美学ならぬ美術史研究者の筆者にとっても刺戟的な歴史的事実や逸話に満ちていたが、やはり詳細に報告することは不可能である。かわりに、会の全体を通じて、リシュテンシュタイン氏の開放的かつ柔軟な応答ぶりがきわめて印象的だったことを付け加えておきたいと思う。一昔前のパリ留学経験者としては、ソルボンヌ教授と聞くと権威的で謹厳そのものといった人物を想像してしまうのだが、氏はそうした紋切型とはまったく無縁である。初めに触れたとおり、今回の来日は同大と本邦の諸大学との学術交流の端緒を開くのが目的とのことで、この人ならば何か動きを起こしてくれるかもしれない、といった期待がゆくりなく胸中に沸き上がった。いかにも雑駁に過ぎる感想ながら、謦咳に接した貴重な機会の記念に書きつけて結びとしたい。
(報告:近藤学 マーク・ロバーツさんによる報告[英語]⇒こちら)