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【報告】「近代東アジアのエクリチュールと思考」第3回セミナー

2010.06.08 └セミナー, 齋藤希史, 裴寛紋, 近代東アジアのエクリチュールと思考

第3回目となる今回は「アルチュセールのイデオロギー批判とテーラーの科学的管理法」と題し,李碩さん(比較・博士課程)による発表と山崎はずむさん(比較・修士課程)によるコメントを中心に行われた(発表4月23日,討論5月14日).

使用したテクストは次の通りである.

【テキストⅠ】アルチュセール(1970)「イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置」
【テキストⅡ】池田藤四郎(1911)『無数の手数を省く秘訣』;Frederic Taylor(1911), The Principles of Scientific Management「科学的管理法」を日本に紹介する目的で小説体に翻案して刊行した作品。

◆発表の部(4月23日)では、テキストⅠの「イデオロギーは主体としての諸個人に呼びかける」という理論が、現代社会を解釈する上でどれほど有効であるかを検証するため、テーラーの科学的管理法の普及と合理化運動に焦点をあてた分析が行われた。テキストⅡの主人公である太郎は、少年職工として機械工場に入ったが、次第に科学的管理法を身につけ効率的に機会を使いこなせるようになり、能力調査技師として大活躍する。その過程において太郎の人格そのものが変わっていく点は、アルチュセールのいう、イデオロギーにより個人の主体が作られる仕組み「呼びかけ―服従―再認―保証」に当てはまる。そうした主体を自発的で自由な存在である(個々人はそう認識しているが)とはいえないのである。

◆討論の部(5月14日)では、発表者による補足として、科学的管理法に至るまでの機械をめぐる言説と合理化運動の実態について追加資料などが配付された。
 それをうけたコメンテーターは、まず科学的管理法の受容のあり方において国別に差異があったこと、とりわけ当時の日本は経済的低迷の状況にあり、科学的管理法を受け入れやすい背景があったことを指摘した。そして、テキストⅡの分析に関しては、太郎が能力調査技師としてある(太郎は管理する側・権力を行使する側にあり、職工としての文盲の少年とは区別されるべきである)点が注意された。さらに同時期に科学的管理法とは異なる時間認識も紹介されていたということで、ベルグソン哲学の流行と、その〈純粋持続〉と呼ばれる時間認識の影響を受けた夢野久作『ドグマ・マグラ』(1935)が取り上げられた。発表以上に熱意あるコメントにより、発表者との議論が深まり、全体の討議の場も大いに盛り上がった。

*なお、「能率」という言葉は、1913年頃に日本能率産業協会によって生み出された新造語(翻訳語)であったが、それが「科学的管理法」にとって代わり急速に広がったらしい。

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