【報告】UTCPセミナー「ナビ派の再発見――美術史と趣味の変遷」
2010年5月26日、シルヴィ・パトリ氏(オルセー美術館学芸員)によるセミナーが開催された。
【シルヴィ・パトリ氏】
シルヴィ・パトリ氏は「モーリス・ドニ」、「フェルディナント・ホドラー」、「20世紀のルノワール」、「メイエル・デ・ハーン」など、パリのオルセー美術館やグランパレで開催された近年の重要な展覧会を手掛け、5月末に東京の国立新美術館で開幕した「オルセー美術館展―ポスト印象派」では監修を務めている。セミナーの司会を務めた三浦篤教授(UTCP)が冒頭の紹介で触れていたように、フランス近代美術史の研究者や学生であれば、幾つかの展覧会を実際に見ているであろう。
【司会の三浦篤教授】
まずパトリ氏は「趣味」の問題を分析した『美術における再発見』(1976)に代表されるフランシス・ハスケルの研究を引き合いに出して、美術史とは忘却と再発見を繰り返しながら、絶えず書き換えられるものであると強調された。その中でオルセー美術館の事例を取り上げ、アカデミスムの絵画・彫刻の展示に開館当初は猛烈な批判が集まったことに触れて、興味深いエピソードが紹介された。というのも、オルセー美術館の入り口横に設置されている5体の大陸の擬人像のブロンズは、もともとナント美術館に所蔵されていたものであるが、開館の直前にシスレーの小さな1枚の風景画と交換されたのだという。
そして、ナビ派の受容の変遷へと話題は展開していった。最初に取り上げられたのがポール・ランソンで、1946年に《水浴》(c.1906)を購入するまで、フランスの国立美術館には1点の作品も所蔵されていなかったという。ナビ派の運動は19世紀末には広く知られていたが、20世紀初頭には早くも忘却の時代を迎え、公的な認知は1960年代にまでずれ込むというのがパトリ氏の見立てである。
以上のような歴史的変遷を踏まえて、詳細な分析を行ったのがモーリス・ドニの《セザンヌ礼賛》(1900)であった。ファンタン=ラトゥールの《ドラクロワ礼賛》の系譜に連なる本作がナビ派のマニフェストではないという点が主張の要諦である。それというのも1900年という時点で、すでにナビ派の運動は実質的に解体しており、徐々に忘れ去られていく中で突如として制作されたからだという。そして、これは写真的な集団肖像画ではなく、入念な準備と構想に基づいた作品であり、フリーズ状に人物を配した構図などに表れた古典主義への回帰、セザンヌ、ゴーガン、ルドンに繋がる継続性の表明、さらにはこうした先人たちの教えを画面中に「転換」しながら新たな「伝統」を担うというマニフェストであるとして、新たな解釈を試みたのであった。
後半部では展覧会や美術館の作品蒐集という制度的な枠組みのなかでナビ派の問題が扱われた。はじめにパトリ氏は、「ナビ派」という用語を冠した展覧会が開催されるのは1943年のことで、19世紀末の段階では「ナビ」という言葉はほとんど用いられていないと述べて、ナビ派にまつわる言説は、一般的なレベルでは忘れられた状況下で、ドニによって遡及的に作り上げられた歴史であると結論付けた。
それを裏付けるひとつの証拠として、現存する画家の作品を展示する場であったリュクサンブール美術館のナビ派の所蔵状況を調べてみると、1939年の時点でわずか3点にとどまっていたという。フランスの美術館は当初は自国の近代美術の蒐集に熱心でなかったことはよく知られているが、ナビ派も例外ではなかった。こうした中でコレクションの嚆矢となったのは、1903年のヴァロットンとヴュイヤールの作品購入であった。
その後も細々とコレクションは増えていくが、サミュエル・ジョゼフォヴィッツのような著名な個人コレクターの存在や重要な展覧会の開催を受けて、1970年代末になってようやく方針が転換されることになった。現在ではその重要性は広く認識されてコレクションの一翼を担うに至っているが、趣味の変遷と美術史の書き換えの中で、ナビ派に対する評価も大きく変動してきたことが豊富な事例によって実証されたのである。
パトリ氏の講演を受けて、3人の日本人研究者による発表に移った。まず杉山菜穂子氏(三菱一号館美術館)が「松方コレクションとモーリス・ドニ」と題した報告を行った。そこでは1920年代に松方幸次郎が蒐集し、現在は国立西洋美術館に所蔵されているドニ作品について、仲介役を果たした当時のリュクサンブール美術館館長レオンス・ベネディットと松方との往復書簡や、主要な取引先であったドリュエ画廊の領収書などの一次資料を提示しながら蒐集の経緯が解き明かされ、松方が日本におけるフランス美術紹介のためにドニは欠かせないと考えていたことが明確に示された。
松方コレクションの存在はフランスで知られているのかという質疑のなかで、特にドニ・コレクションに関して、パトリ氏は1921年にベネディットがドニに宛てた興味深い書簡を引用した。そこには、「リュクサンブール美術館は東京の美術館に嫉妬している」と記されており、少なくとも1920年前後においてフランス本国を凌ぐほどの充実ぶりであったことが確認できる。その一方で、杉山氏によれば日本では「前衛的」な作品を手掛けていたナビ派の時期の作例を含まないために、松方コレクションのドニ作品は長らく等閑視されてきたという。20世紀のドニ作品に前衛の残滓を見出しながら再評価するのか、あるいは別の論理でアプローチするべきなのかは大きな課題と言える。
【左から平石昌子氏、パトリ氏、杉山菜穂子氏】
続いて平石昌子氏(新潟県立近代美術館学芸員)が、同館のコレクションと活動について発表した。ナビ派関連の所蔵作品は、ドニの《夕映えの中のマルト》やランソンの《収穫する7人の女性》をはじめとして、版画を含めると60点以上にも及ぶという。そして、2000年に開催されて大きな反響をもたらした「ナビ派と日本」展に触れて、宮芳平とヴァロットン、土田麦僊とランソンといった作例を対比しながらモティーフや構図における類似性を指摘した。
これらは直接的な影響関係というよりも日本美術の影響を受けたフランス美術を明治・大正期の日本人画家が参照するという、いわばジャポニスムの里帰りという芸術的交感の中で生み出されたものである。質疑応答では、ナビ派との強い結びつきは日本美術に特有の現象なのかという問題をめぐって、一頻り議論が交わされた。作品を並べてみたとき、その親縁性は感覚的には首肯されるように思われたが、パトリ氏が他の国々の状況については不案内であると即答を避けていたように、国家間という大きな枠組みで美術を論じるときには慎重な議論が求められるだろう。
最後にこのブログの報告者でもある小泉順也(UTCP)がゴーガンとセリュジエの関係に再考を促すべく、数年前にカンペール美術館に遺贈された《ティティルスとメリベ(さようならゴーガン)》(1906)を取り上げた。ウェルギリウスの『牧歌』を文学的典拠として、タヒチへ旅立つゴーガンとブルターニュに残るセリュジエを対照的に描いたこの作品は、かつての師弟という間柄を超えた差異を浮き彫りにしながら、画家の生涯と芸術性のマニフェストとしての機能を果たしている。その上で、ゴーガンの指導のもとにセリュジエが制作したという《タリスマン(護符)》の逸話に終始しがちな両者の関係に一石を投じる作品であると論じた。時間の関係で日本の美術館に所蔵されているセリュジエ作品(油彩7点)の分析は割愛せざるをえなかったが、現在フランスでは新たなカタログ・レゾネの発行に向けて編纂作業が進んでおり、今回の調査結果を中間報告として伝えていることを付記しておきたい。
【パトリ氏と小泉順也】
以上の発表を終えて、まずフロアから美術における趣味の変遷を論じるとき、その主体は大衆なのか学芸員なのかという質問が出された。これに対してナビ派の復権を考えるとき、コレクションや学術研究の面ではアメリカに先行されていたが、1955年にジャン・カスーがパリの国立近代美術館で開催した「ボナール、ヴュイヤール、ナビ派」展が評価を変える大きな契機となった。しかしながら、今の段階では大衆レベルでの熱狂があったとは言えないというのがというのがパトリ氏の見解であった。さらには、ドニの理論で重要な「等価物(équivalence)」の概念と講演のキーワードでもあった「転換」との関連、ドニが蒐集した同時代美術のコレクション、《セザンヌ礼賛》の場面設定の解釈など、ミクロとマクロの両面から活発な議論が交わされた。
4人の発表が続いたためにディスカッションの時間は決して十分ではなかったが、それでも終始和やかな雰囲気の中でやり取りが行われた。日本の美術館における作品所蔵の情報はパトリ氏にとっても有益なものであったと信じている。近い将来、今回のセミナーで言及された日本の所蔵作品がオルセー美術館の展覧会に出品されることを期待している。
今回のブログ報告を読まれた方は、国立新美術館で開催中の「オルセー美術館展2010――ポスト印象派」(8月26日まで、火曜休館)に足を運んでいただきたいと思う。オルセー美術館の一部改修にともなって企画された同展は、キャンベラ、東京、サンフランシスコを巡回する国際展である。チラシには「空前絶後」といった文句が踊るが、今回に限って言うならば決して誇張でないことがわかるだろう。パトリ氏の講演で中心的に扱われたドニの《セザンヌへのオマージュ》も出品されている。さらには、改装を終えたオルセー美術館がどのようにナビ派の作品を展示するのかも注目に値する。
最後に展示準備と講演会の合間のわずかな時間を割いて、セミナーの開催をご承諾いただいたシルヴィ・パトリ氏に改めて感謝の意を表したい。あわせてディスカッサントを快くお引き受け下さった、杉山菜穂子氏と平石昌子氏にも心より御礼申し上げる。なお三菱一号館美術館では「マネとモダン・パリ」展(7月25日まで)が開催中で、長岡の新潟県立近代美術館でも「モーリス・ユトリロ展」(7月10日-8月25日)が予定されている。日本に居ながらにして日常的にフランス近代美術に触れられるという環境は、松方幸次郎を含めた先人の尽力によって作り上げられてきたものである。現在まで連綿と続いている受容の歴史的検証は大きな課題であるが、相次いで開催される重要な展覧会を前に、またとない機会を逃す手はないだろう。
(小泉順也)