【報告】「近代東アジアのエクリチュールと思考」第1回セミナー
中期教育プログラム「近代東アジアのエクリチュールと思考」のセミナー第1回目は「“パリ仏越派”たちの「ベトナム美人画」」と題し,二村淳子さん(発表者,比較・博士課程),宮田沙織さん(コメンテーターの比較・修士課程)を中心に行われた.
(発表の部4月16日,討論の部23日)
【テキストⅠ】枝松亜子「「美人画」の成立まで――浮世絵から近代美人画へ」(関西学院大学美学研究室編『美術史を愉しむ:多彩な視点』思文閣、1996)
【テキストⅡ】パリ仏越派(レフォー、マイ・トゥ、ヴ・カオ・ダン;20世紀初頭にパリで活躍したベトナム画家3人)の描いたベトナム「美人図」
◆発表の部(4月16日)では、東アジアにおける近代「美術」という概念の導入と「美人画」の絵画としての変容を述べるテキストⅠの枠組みが、テキストⅡのベトナム「美人図」に類似した構造をもっているのではないか、という問題提起がなされた。実際の絵画分析においては、新国民服アオザイを着ている女性たちは新しい国家ベトナムの一自画像であること、また観音像・母子像のように描かれた女性たちは近代的道徳観念に基づく母性愛の表現であることが指摘された。その一方で、仏像や古典文学などの要素が、過去の安南の様式かつ極東絵画の伝統として持ち込まれていることの意味、さらに絹という新画材の表象など、多岐にわたる論点が提示された。
◆討論の部(4月23日)では、まず発表者二村さんによる補足があった。アオザイはフランスの新オリエンタリスト画家たちも多く描いていた素材であり、その意味では、既に西洋で形成されたオリエンタリズムのイメージを基に、ベトナム美術をめぐる談論が行われていたのだと、発表の趣旨が補強された。
宮田さんによるコメントは、伝統的モチーフの利用・再生産と近代ナショナルアイデンティティー創出との関連で、論点を絞ったものであった。すなわち、「東洋趣味」の只中のフランスにおいて「ベトナム美人」を描くという試み自体、フランスから期待ないし要請されたベトナムへの視線を意識せざるを得ない側面をもっていたはずである。そうして複雑に視点が交錯する点こそ、まさにパリ仏越派の面白さであると同時に、扱いにくさでもあるとまとめられた。
その他にも以下の点が指摘された.
・彼らは極東(中国)の遺産を前提にして、新しいベトナムの「伝統」をつくる。その点、常に中国との差別化を図る形で、いわば非中国の「伝統」をつくろうとした、日本や朝鮮の場合と対照的である。
・植民地に向けられた視線の相互方向性について、さらに議論が重なった。たとえば、その絵画はフランス国内だけで流通されたのか、それともヨーロッパ全域で需要があったのか。単にベトナムに向けられたフランスの視線だけでなく、そこにフランス以外の西洋人の視点などが加わることでより立体的な分析となる可能性がある。
(文責 裴寛紋)