UTCP「アカデミック・イングリッシュ」セミナー講演会 "Spinoza on Affect and Will"
2010年4月23日、UTCP「アカデミック・イングリッシュ」セミナー講演会として、ユージン・マーシャル氏(ウェルズリー大学)による講演「Spinoza on Affect and Will」が行われた。人間がより良いと判断したことに抗って行為してしまうという「アクラシア=意志の弱さ」の問題を、スピノザ哲学における情動(affect)の理論によって考察する試みである。
人は、ダイエット中に甘い物は良くないと判断していても、ケーキに手を伸ばしてしまうことがある。アクラシア的行為の定義とは、意志的で非合理な、あるいはよりよい判断に反するような行動のことである。マーシャル氏によれば、スピノザは直接アクラシア概念について論じたわけではないものの、彼の情動の理論によってアクラシアについての立場を考えることができる。スピノザ哲学は、二つの相反する判断のあいだで心が動揺するような状態だけでなく、より良い判断をしつつもそれに反する行動を行うような、同時的アクラシア、あるいは強いアクラシアといったものの可能性を受け容れるものである。ではそのようなアクラシアの行為において一体なにが起こっているのか。スピノザ哲学の独自性は、アクラシア的エージェントにおいて「認知 vs 欲求」の争いが起こっているのではなく、良きものを見つつ悪しきものを行うような、感情への隷属と呼ぶものを提起したことにある。
次に、同時的アクラシアの可能性を否定するような、P. M. ヘアおよびD. デイヴィッドソンの理論を批判的に検討したうえで、むきだしの欲望がわれわれの判断に打ち勝つという理論は不十分であり、競合する複数の実践的判断からアクラシアを考察する観点をスピノザ哲学において検討した。スピノザは、善と悪の知識が喜びや悲しみの情動にほかならないと考える。情動は非認知的なものではなく、認知的な内容をもっている。情動とは、われわれがよりよき生に関わるとみなす、様々な信念である。有益あるいは有害な行動の表象は、信念であると同時に行動を導く欲望であり、"belief"と"desire"を掛け合わせた"besires"の概念(J. E. J. Altham)と比較することができるものである。
道徳心理学の分野において、スピノザ主義による、認知的な情動ベースの理論は過小評価されてきたものの問題解決に資するものであり、スピノザ再読においても重要な観点となることを提起して締めくくった。
質疑応答では、近年、意志の弱さの問題に関して心理学者ジョージ・エインズリーが提起した双曲割引の理論との関連や、スピノザの相対主義的な立場に関して活発な議論が行われた。情動の問題を分析哲学的な方法によって明快に考察した今回のレクチャーは、たいへん興味深いものであった。(報告:荒川徹)