【UTCP on the Road】共同して哲学する試み(森田團)
UTCPの第I期の年度初めの会合で、小林リーダーは、研究者として、論文を書くという最終的な作業が(絶対的に)孤独なものであり、それに耐えられない者は、はやくこの世界から去ったほうがいいというようなことをおっしゃった。ある意味、自明とも思えた言葉だったが、在籍した21世紀COE、グローバルCOEを通じての四年半のあいだに経験したのは、この孤独な作業へ至るプロセスの重要さと、一見、自明に見えるこの言葉の意味であった。
アドルノは、ベンヤミンとの交流を共同して哲学すると形容したことがある。しかし、そもそも哲学とは決して孤独な思考の営みではなく、根本的に共同的な思考の営みではなかっただろうか。ソクラテスの活動を思い起こすまでもなく、哲学はその起源においてたしかに対話であり、さらに極端に言うとすれば、硬直した師弟の対話であるよりまえに、根本的に友たちのあいだの対話であった。ヘルダーリンとヘーゲル、シェリング、シュレーゲルとノヴァーリス、マルクスとエンゲルス、ベンヤミンとショーレム、ブランショとバタイユ、ドゥルーズとガタリなどの共同作業は、おそらく哲学史の例外ではない。
UTCPは、このような対話の場であるように思われた。それはこの組織が駒場にあるということにふさわしい。駒場は、何よりも「若さ」に与えられた場であり、それゆえに友との出会いの場であるからだ。「若さ」による逸脱や越境、飛躍やときには強引な断言を――そしてそれは対話の根本特徴でもある――思考のそもそもの条件として、UTCPは認めてくれていたように思われた。要するに、駒場にこのような場があるということ、それ自体がUTCPにあるニュアンスを与えていた。
UTCPの活動の中心は、若手研究者同士の研究会と事業推進担当者が組織したプログラムでのゼミナール、研究会、講演会、ワークショップ、シンポジウムである。そこでもっとも基礎的な役割を担うゼミナールと研究会では、具体的なテクスト読解から出発しつつ、師はあたかも友のように、そして友はあたかも師のように、問いを共有しながら、まさに共同に哲学するという営みが、少なくともいくつかの瞬間、成立していた。ここでは互いが互いを承認しているがゆえに、ときに激しい批判や議論が可能になったからである。
同時に強調しておくべきは、このような場が文字通り国際的に開かれていたことだ。とりわけグローバルCOEとなった第II期においては、海外からさまざまなかたちで招かれ、訪れた研究者と、若手研究者は、同時代性を共有するだけではなく、同じ関心を、同じ問いを共有しうることが、幾度なくあきらかにされたと言っていい。
個人的にはUTCPに在籍中のほとんどの時間を博士論文の執筆に費やしたが、このような共同作業は、孤独のうちで書くという行為のいわば支えとなった。そして、いまや明らかであるように、孤独に書くとは、もちろんただ一人で書くということではない。それは既成の論理や思想や解読格子やらとは独立して、自らの問いを自らが引き受け、首尾一貫して展開するということにほかならない。このある種の覚悟の唯一の支えとなるのが共同作業なのだ。共同して哲学するという経験こそが、孤独のうちに書くことを支持してくれるのである。
おそらく、この共同して哲学するという試みと孤独のうちに書くという行為が交錯する場であったUTCPは、「世界に踏み出すための孤独な学校 einsame Schule」(ヘルダーリン)であった。幸い教員として研究を続けられる身となったが、UTCPでの経験は、これからの研究の糧となり続けると思う。
最後になりましたが、長いあいだ研究活動を支えていただいた、小林康夫リーダー、中島隆博事務局長、西山雄二さん、立石はなさんに、心から感謝いたします。どうもありがとうございました。