【UTCP on the Road】 居心地の悪さ(桑田光平)
2008年10月から2009年9月までの1年間、UTCPの活動に参加させていただいた。が、正直に言えば、決して居心地の良い1年ではなかった。留学中に書き終えることのできなかった博士論文を毎日少しずつ書き進めていたが、出勤日に駒場に行けば、あるいは、出勤日でなくともシンポジウムやセミナーに参加すれば、そんな自分の個人的な研究にどれほどの意味があるのかと思わせるような、人文学の危機、人間の危機、倫理の危機、文化の危機についての途方もなく困難な問いが投げかけられ、それらの問いに対して非常に高度な議論が展開される。多少なりとも自分の専門に関わる分野であれば、それでも何とかついていくことができたものの、エンハンスメントと倫理の問題からライシテの問題やイスラム理解に至るまで、参加したシンポジウムやセミナーには、自分の専門とは関係のない分野が少なからずあり、議論についていくのに精一杯だった。というより、ほとんどついていってなかったと言えよう。家ではひとりの作家のテクストを集中的に読んで、そこから現れてくる問題を拙い外国語で苦労しながら論じ、UTCPではアクチュアルな難題に対して脱領域的あるいは領域横断的な知を強制される。専門性と領域横断性の二つの知の実践を身体に課す1年だった。
だが結局、自分にとってのUTCPは、ここしばらく叫ばれてきた領域横断的な知の実践の場所、専門研究の外で切迫した問いが世界にはあることを意識させられる場所ではなかった。必ずしもアクチュアルな問題に結びつかなくとも、深く専門的でアカデミックな研究は相も変わらず必要であり、その上でなお、専門的な知が互いに共生できる「場所」の可能性こそが、むしろ自分にとってのUTCPだったように思う。言いかえれば、それは専門性と領域横断性が二者択一にならないような回路を作る経験ではなかっただろうか。2009年2月の中期教育プログラム報告会において、それぞれのプログラムから報告者が自分の専門研究について発表を行い、すべてのUTCPメンバーがおおよそ自分の専門とは関係の無い発表を半日聞かされた後、最後に小林先生は「皆さん、今日は居心地が悪そうに他の人の発表を聴いていましたね」とおっしゃった。この居心地の悪さとどう折り合いをつけるか、あるいはつけないのか、それは各人が決めることだろうが、自分にとっては1年間続いたこの居心地の悪さが何らかの形で貴重なものであり続けることは間違いないだろう。
研究のみならず、事務作業や会場準備などに関しても自分の無能ぶりを如何なく発揮してしまい、小林先生、西山さん、立石さんをはじめメンバーの皆さま方には少なからずご迷惑をおかけしました。しかし、温かく厳しいご指導のおかげで、今の勤務先では書類を出し忘れたり、コピーを何度も失敗したりするようなことは目下ありません。ありがとうございました。
桑田光平
桑田光平さんの活動履歴 ⇒ http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/blog/0240_kuwada_kohei/