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【報告】パレスチナの〈破壊の歴史〉と〈共生の未来〉を語る (その2 対談「パレスチナとアイヌ、入植と征服の歴史比較」)

2010.04.13 早尾貴紀

講演会“Jews and Arabs: Intimate Enemies”に続いて、2010年3月16日は、メロン・ベンヴェニスティ氏の対談企画があった。

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ベンヴェニスティ氏は、2000年にSacred Landscape: Buried History of the Holy Land Since 1948 を刊行。パレスチナの土地へのユダヤ人の入植、それによるユダヤ人国家イスラエルの建国があったが、それにともなって、パレスチナの土地が「ユダヤ化」された。風景を改造し、地図を書き換え、想像された歴史や伝統でもって、ナショナリズムの正当化がはかられたのだ。すなわち、そこにあったアラブ人の生活、歴史、名前が抹消され、あたかも聖書時代から一直線にユダヤ人だけが「聖地」に対する正統性を保持してきたかのようなイデオロギーとその根拠を生み出したのだと言える。

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この著書は、著名なユダヤ人批評家のベンヴェニスティ氏が書いたというためだけでなく、氏の父親自身が、地図製作者として建国当時に地図の書き換えを担っていたということのために、大きな反響を呼んだ。

来日講演の一つで、上記のテーマで話したことを受けて、さらにベンヴェニスティ氏は、近代国家の成立・発展過程における、入植活動や先住民への弾圧を比較検討するために、アイヌ研究者との対談にのぞんだ。強調しておきたいが、来日に際してこの対談を提案してきたのはベンヴェニスティ氏本人であったということだ。すでにアイヌについての英語の書籍で、和人によるアイヌモシリの征服、入植者コミュニティ建設の歴史については、概要をつかんでいた。

そのうえで、アイヌ研究を専門とし、広く先住民族問題に詳しい上村英明氏との対談をおこなった。

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まずベンヴェニスティ氏が、地図製作者としての父親の仕事を紹介しつつ、地図作製として「地名の名づけ」は親近性を出すとともに所有権の主張につながっていると最初に指摘すると、上村氏は北海道の具体的な地名の由来を紹介することで応じた。つまり、北海道の場合、もともとのアイヌ語の地名の音に漢字を当てたり(オシャマンベ/長万部)、翻案・反転させた上で漢字を当てたり(シコツ/千歳)、出身地の地名を当てるなど(広島や伊達)、そこが伝統的に日本のものという思い込みを植えつけ、ナショナリズムを強化することになったという。

またベンヴェニスティ氏は、地図の効用として、軍事的利用と課税目的、土地区分と用途の限定、そして最終的には先住民から土地を収奪すること、などを指摘すると、上村氏は、北海道で土地調査と人口調査をおこない、地名を確定させていったのはまずは対ロシアでの領土主張のためであったこと、また入植者が土地利用を変更することで先住民の生業が著しく阻害されたこと、その最初の入植者は旧士族から憲兵となった屯田兵であったことが紹介された。またパレスチナと共通するのは、「入植者が無人の荒れ地を開拓した」という神話が形成されたことも指摘できる。

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この話を受けたベンヴェニスティ氏によると、イスラエルとパレスチナでは、もともとイスラエル側に住む兵士が西岸・ガザ地区に配備されていたのが、次第に西岸地区の入植が進むにつれて、入植者の兵士が増えていることや、またその役割がイスラエルだけでなく入植地を守ること、そのために占領地のパレスチナ人を孤立化させることに重きが置かれるようになった。

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次に「暴力」のテーマに移り、パレスチナでは占領の結果としてあるインティファーダが、「暴力の応酬」という話なり、また逆に「だからパレスチナ人は乱暴で野蛮なのだ」と話がすり替えられるのに対して、アイヌの場合は大きな組織的武装抵抗はなく、むしろ生業を奪われたアイヌが病気やアルコール中毒となり、その結果「アイヌは怠惰で野蛮なのだ」という評価につながっている、という微妙な差異が見られる。

ところで、ベンヴェニスティ氏が、アイヌの事例が前世紀の話であるのに対して、パレスチナの話はいま現在の話であり、それをどう繋げるのか、歴史のダイナミクスについての議論が必要だと言うと、上村氏は、アイヌの征服の話は確かに過去の話だが、アイヌ先住民を日本社会の構成員として正当に認めさせるための闘いはいまも続いており、その正義の実現のために「歴史の共有」が必要条件になっている、その点は通じているはずだと応じた。
 これ以降の後半も、「文明化と故郷化のイデオロギー」、「先住民の不可視化と自然の征服」、「入植者第二世代以降の心理と教育」、「入植地の国土化」などのトピックに沿って、ひじょうに具体的に濃密な対話が重ねられたが、詳細はここでは割愛する。

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イベント外のことになるが、滞在中にベンヴェニスティ氏は靖国神社や遊就館(付設の博物館)を訪れたり、高橋哲哉氏の英語の靖国論を読むなどし、そして上村氏との対談によっても、日本の近代化・国民化、政教分離、ナショナル・アイデンティティの問題などに大いに触発されたとのことであった。そして、同世代人として共有するさまざまな問題を確認し、大いに力づけられたとのこと。ベンヴェニスティ氏は76歳。むしろ、その誠実さと飽くなき向学心によって力づけられたのは私たちの側であった。

たんなる話題提供者としてではなく、相互に触発をしあい、高めあう関係をつくれたのは、ベンヴェニテスティ氏の人徳のおかげでもあったが、「共生」を考えるうえで、またとない貴重な機会となったと思う。

文責:早尾貴紀(若手研究員)

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