【報告】「都市の横断 ― 記号の彼方へ」@滋賀県立近代美術館
滋賀県立近代美術館で開催中の『シュウゾウ・アヅチ・ガリバー EX-SIGN(エクス・サイン)』展関連企画として、2010年3月21日、シンポジウム「都市の横断 ― 記号の彼方へ」がおこなわれました。登壇者は、小林康夫、門林岳史(関西大学)、平倉圭、そしてシュウゾウ・アヅチ・ガリバー氏。
シンポジウムのテーマは、「EX-SIGN」というタイトルとガリバー氏の作品を受けて、「記号」とイメージの問題を新しい角度から考えなおすこと。
はじめに門林氏の発表。門林氏はガリバー氏の記号的ドローイングとよく似たアマゾン先住民の記号的なドローイングを見せ、この図形はどこからやってきたのだろう、と問いかける。そこで門林氏が導入するのは、視覚それじたいによって生み出される視覚――「内部光学」という現象だ。瞼を閉じたり、洞窟のような暗闇に入るとき、目の前に幾何学的な図形が現れる。この内側から現れる図形が、より具象的な図像も含む、人間の描画行為の母胎になっているのではないか? 門林氏は、この内部光学の問題を、視覚の近代性の問題とからめながら探っていく。認知考古学・芸術論・近代論を接続する刺激的な発表。
つづいて平倉の発表。テーマは動物にとっての記号。記号が記号としてあらわれるためには、解釈者の身体的行為が必要になる。この問題を平倉は、ジョロウグモの知覚行為系の分析を通して示し、記号を発生させる場としての振動が、複数の動物の身体をつないでいくことを示す。この問題と、ガリバー氏の作品にみられる、複数の身体の性的/記号的融合のヴィジョンとはつながりあうだろうか?
2つの発表を受け、小林氏がガリバー氏の作品の分析にとりかかる。ガリバー氏の作品に起きているのは融合だろうか? それとも融合の切断だろうか? 小林氏は、ガリバー氏の作品のなかに現れる「態度(Attitude)」という言葉に注目し、行為と非‐行為が等価となる「態度」という状態が、ガリバー氏の作品を読み解く鍵ではないかと提案する。
対してガリバー氏は、自らの記憶を縦横に飛び回りながら応答を展開。多岐にわたるその内容はここでは要約不能だが、ただ最後にガリバー氏が、「数学でわからないものを X と置けるのはなぜか。小学生のときからとても不思議だった」と述べていたのが印象に残った。最後に小林氏が、この展覧会は「EX-SIGN」ではなく「X-SIGN」ではないかと述べて、シンポジウムは締めくくられた。
会は終始なごやかな雰囲気で進められた。ガリバー氏、展覧会を企画された滋賀県立近代美術館の山本淳夫氏はじめスタッフの皆様、そして来聴者の皆様に感謝を申し上げたい。
(報告:平倉圭)