旅思——映画『哲学への権利』巡回上映中
昨年、ドキュメンタリー映画「哲学への権利――国際哲学コレージュの軌跡」を製作し、現在、各地で巡回上映中である。
映画HP(映画の概要、上映情報、報告など)⇒ http://rightphilo.blog112.fc2.com/
(映画『哲学への権利』の一場面)
本作は、1983年にジャック・デリダやフランソワ・シャトレらがパリに創設した半官半民の研究教育機関「国際哲学コレージュ(CIPh)」をめぐる初のドキュメンタリー映画である。この研究教育機関の独創性を例として、本作では、収益性や効率性が追求される現在のグローバル資本主義下において、哲学や文学、芸術などの人文学的なものの可能性をいかなる現場として構想し実践すればよいのかが問われる。歴代の議長を含む関係者7名へのインタヴューを通じて、大学、人文学、哲学の現在形と未来形が描き出されている。
映画は2009年9月にアメリカ東海岸の4大学で上映された後、同年12月から日本各地で巡回上映中である。主に大学を会場にして上映されるが、ジュンク堂新宿店や朝日カルチャーセンターなど、大学外の場所でも上映がおこなわれた。観衆は20名のときもあったが、最近では立ち見が出たり、遅れてきた方々が会場に入れなかったりするほど盛況な会もあった。
(12月5日南山大学から巡回上映開始 宮崎裕助、ギブソン松井佳子、加藤泰史)
上映後には必ず討論会を併載し、毎回異なるゲストの方々と映画の直接的な印象から理念的な話までさまざまな議論を展開している。私自身驚いているのだが、上映作品は同一とはいえ、場所とゲストが変わるために討論の内容は毎回著しく異なったものになる。毎回、監督という立場で一緒に登壇しているのだが、あたかもジャズの即興セッションを名プレイヤーたちとその都度披露するかのような感覚に陥っている。実際、討論部分だけを何度も聴講するリピーターが少なくないのはその証左だろう。
(12月12日ジュンク堂新宿店 萱野稔人)
本作をめぐっては、朝日新聞夕刊(2009年12月17日)、日経新聞朝刊(12月26日)、読売新聞朝刊(12月28日)、週刊金曜日(2010年2月5日、3月5日号予定)、「ATプラス」誌(第3号、東浩紀氏との対話)などで取材を受け、記事が掲載された。記者の方は一様に映画を実に熱心に見てくださり、関連文献を読了した上で取材をしてくださった。とりわけ日経新聞の舘野記者は各地の上映に足を運んでくださり、大学問題に関する見通しの良い記事を書いていただいた。また、週刊金曜日の中村富美子記者には、自身がパリで国際哲学コレージュに通っていたこともあり、臨場感溢れる記事を書いていただいた。
日経新聞朝刊(12月26日)⇒記事を閲覧
(12月21日ICU国際基督教大学 武藤康平、佐野好則)
今回の映画製作と上映は基本的に私の個人科研費と私費などで実施される個人的な活動であり、UTCPのプログラムによるものではない。私は映画製作はまったくの素人なので、入門的テクストで勉強しながら、撮影、編集、交渉などをほとんど独りでおこなってきた(実を言うと、現在も勉強をしつつ作品を修正し続けている)。毎回、誰よりも早く上映会場に入って機材の準備をし、すべての討論会に登壇して質疑に応答し、懇親会では参加者の方と交流するようにしている。つまり、大学、人文学、哲学の現在と未来をめぐるこの映画の上映運動に対して、私という等身大の個人の責任と信念が、数多くの方々との共同を通じて、どこまでその責務を果たすことができるのか、試してみたいと思っているのである。
(2010年1月7日広島大学 大場淳)
とはいえ、UTCPの理念を参照したり、UTCPで研究教育活動をおこなってきたことは、今回の映画製作と上映を実に豊かなものにしていることは間違いない。それは次のような問いに端的に要約されるだろう――「いかにして研究と教育にもっとも瑞々しい現場性を付与すればよいのか。しかも、学問領域の壁を越え、個々の大学の垣根を越え、そしてさらには、国境を越えるような現場性を研究と教育はいかにして獲得するのか。」
(1月16日朝日カルチャーセンター新宿校 高橋哲哉)
「研究者のあなたがなぜ論文ではなくて、映画なのか?」としばしば問われる。本作はデリダの国際哲学コレージュのたんなる紹介記録映画ではない。むしろ、コレージュを一例としつつ、あくまでも日本における大学、人文学、哲学の現状と展望をいま共に考えることが本旨である。こうしたアクチャルな問題を共に議論する場をつくるためには、映画は優れた媒体であるだろう。同じ主題で私が講演会をおこなっても、せいぜい10名ほどしか集まらないだろうが、映画ならば学部学生や一般の方も参加しやすい。しかも、映画は作者であるはずの私の統制を大きく踏み越え、それ自体で現場をつくりだす底知れぬ力がある。私が模範的前例としているのは、1990年代半ばに日本全国で実施された映画『ショアー』の上映と討論の運動であるが、本作もまた私の予期せぬ仕方で生きもののように動き始めている。
「人々を貫き、人々をつなぐ『哲学への権利』という映像作品および作品上映運動は、おそらくは監督・西山雄二という個人に端を発するものではない。また、国際哲学コレージュという運動すら、おそらくはデリダだけに帰着するものではない。デリダをも貫いて流れ来たった力、思考の力の旅こそがこの「作品」の真の「作者」なのであり、これこそが「哲学」にほかならないのだ。」――藤田尚志(九州産業大学)
(1月19日早稲田大学 岡山茂、藤本一勇)
2010年3月までの上映計画は私の主導で組み立てられ、数多くの友人や尊敬する先達たちが力を差し伸べてくれた。4月以後の上映はさまざまな人と場所からの依頼で自ずと組まれていく。今後は愛知大学、一橋大学、新潟大学、神戸市外国語大学、明治大学、東京芸術大学、上智大学、首都大学東京など、大学以外では西田幾多郎記念哲学館、逗子のカフェなど、そして香港やドイツ、韓国などで上映が企画されている、ないしは企画され始めている。
(1月23日東京外国語大学 桑田光平、田崎英明、岩崎稔)
今週から関西へと場所を移し、6日間移動しながら、異なる場所で6回の催事がおこなわれることになる。その後は、フランスに向かいパリとボルドーで計3回の上映が予定されている。パリではまさに国際哲学コレージュで上映がUTCPの共催でおこなわれ、討論ではコレージュの議長をはじめとした面々が登壇してくださることになっている。3月には再び東京各地などでの上映が再開されるのだが、嬉しいことに、映画出演者3名(ミシェル・ドゥギー、ボヤン・マンチェフ、ジゼル・ベルクマン)と共に討論会を実施することになった。
ご関心のある向きは各地での上映・討論会に足を運んでいただければ幸いに思います。
2010年2月3日 西山雄二
(1月25日素人の乱「地下大学」 平井玄、白石嘉治)