UTCP イスラーム理解講座 第10回 “Laïcité and the Fear of Islam”
2009年11月11日、第10回イスラーム理解講座が東京大学の駒場キャンパスで開催された。今回は、UTCPのプログラムの一つである「世俗化・国家・宗教」の招聘により来日された、ハルドゥン・ギュラルプ教授(トルコ、ユルドゥズ工科大学)を迎え、「ライシテとイスラームの脅威」と題する講演をいただいた。
ギュラルプ教授は元来トルコの世俗化問題の専門家であるが、一方で、ヨーロッパの世俗主義、ライシテを他の研究者とともに共同研究しており、今回の報告はその共同研究の成果をもとにしている。今回の報告で注目したのは、ストラスブールに設置された欧州人権裁判所の裁判のうち、第九条、信仰の自由を侵害したと認定した判決を取り扱い、そこから見えてくる、ヨーロッパのライシテ(政教分離、脱宗教化)とイスラームの脅威について論じた。ギュラルプ教授は特に、以下4つの国を、憲法上の政教分離から区別した上で、検討対象として取り上げた。
・ギリシア:国教を定め、宗教的な国家
・ブルガリア:憲法上は信仰の自由を謳うも、ブルガリア正教に特別の地位を認める。
・トルコ:政教分離
・フランス:政教分離
欧州人権裁判所の扱った裁判のうち、信仰の自由に対する侵害を冒した国家として、最も頻繁に批判されたのは、ギリシアとブルガリアで、一方フランス、トルコについてはほとんどなかったが、実は事態はもっと複雑であった、という。
ギュラルプ教授は、4国の国民から欧州人権裁判所に訴えられた裁判事例を具体的に紹介し、ギリシア、ブルガリアの場合、信仰の自由の侵害として処理された事案が目立つのに対して、フランス、トルコについては、原告は、国に信仰の自由を侵害されたという趣旨で訴えているにもかかわらず、判決では第九条「信仰の自由の侵害」を適応せず、却下しているケースが目立つことを指摘した。
例えばトルコについては、レイラ・シャーヒーン女史がスカーフをつけて大学の卒業写真撮影をしたことで、公的空間におけるライクリック(政教分離)を侵害したとして卒業証書を受け取ることが出来ず、退学処分に処された事件が取り上げられた。シャーヒーン女史は国内で退学処分を無効と訴えたが敗訴したため、欧州人権裁判所に信仰の自由を侵害されたとして提訴したものの、結局敗訴した。この敗訴はムスリムのスカーフ着用を公的空間で認めさせようとする人々にとって大いに痛手であったという。
ギュラルプ教授は豊富な事例をトルコの事例と比較し、トルコの人口の大部分がムスリムであるため、こうした特殊な裁判結果と考えられると述べた。欧州人権裁判所には「イスラーム」に対する脅威がある故に、第九条「信仰の自由」の適応に温度差があり、同時に世俗主義が民主主義の基盤をなしているという考えが欧州において根強いことが背景にあると論じた。裁判の個々のケースを検証することで、統計上の「信仰の自由の侵害」の頻度というものは再考の余地があることを強調し、講演を締めくくった。
質疑においては、現在トルコの国民がこのような欧州人権裁判所の偏向を十分理解しているのか否かについて質問が寄せられた。ギュラルプ教授によればトルコ国民はこうした事情を理解しているわけではなく、クルド問題における成功体験をもとに欧州裁判所に期待を持っているという(クルドについては教育を受ける自由などが適応され、政府に勧告がはっせられたという)。また宗教がヨーロッパ連合のアイデンティティの根幹にあるのか、今回紹介されたトルコの事例をみると、非常に宗教すなわちキリスト教との関連が強いことは否定できないのではないかという質問があった。ギュラルプ教授は、歴史的に見ても欧州のキリスト教も多様であることを述べ、また世俗主義が一種の宗教、教条となりつつあるも指摘した。ここに、キリスト教世界は政教分離ができたが、イスラームは政教分離が出来ないという暗黙の前提があることに注意すべきことを付け加えた。
今回のイスラーム理解講座も世俗化プログラムの参加者だけでなく、UTCP全体、それ以外参加者も得てギュラルプ教授の明快な講演をもとに、活発な議論が繰り広げられ、現在ヨーロッパで行われている壮大な実験と言うべき「欧州連合」における宗教と個人・社会・国家の関係について理解を深め、共有することができた。
(文責:阿部 尚史)