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「世俗化・宗教・国家」セッション16

2010.01.06 羽田正, 世俗化・宗教・国家

2009年12月14日、「共生のための国際哲学特別研究Ⅲ」第16回セミナーが行われた。

今回は、日本の事例から宗教学を考えている研究者として奥山倫明氏(南山大学南山宗教文化研究所)をお招きしてのレクチャーであった。

冒頭、奥山氏に対して、本セミナー2年間の活動経過について羽田先生から説明があった。昨年度は「宗教」「世俗」という概念がどう立ち上がってきたのかを考証してきたが、今年度はその成果をうけて、今年度は「国家」との関係において世界的な流れのなかで「宗教」と「世俗」を考えている、との経緯である。

奥山氏は、キリスト教の歴史からある程度切り離されている日本は宗教史に重要な事例を提供しているといえるとした。西ヨーロッパの宗教社会学で、「世俗化」という動向が確認されたが、アメリカでは一貫して宗教の影響が強い。そのため、「世俗化」現象は、現在ではヨーロッパ・モデルとして受けとめられている。では、日本における宗教の事例はどのように考えられるであろうか。
こうした問題を考えるために、奥山氏はまず、「市民宗教」と「宗教の社会貢献」という論点についてイギリスの政治学者ジェフリー・ヘインズJeffrey Haynesの議論を紹介して、「宗教の政治的役割の増大」という主題を抽出した。
そのうえで、奥山氏は以下の3つの論点を提示した。
 1.王室と国教会の関係(国家元首の宗教的役割)
 2.近代国家による偉人の顕彰の問題
 3.宗教の政治参加(宗教政党の問題)
奥山氏は、上記3点に対して、それぞれ近現代西欧の事例(イギリスの教会公定制、フランスのパンテオン、ヨーロッパ政治におけるキリスト教民主主義政党)に触れてから、日本の事例をとりあげた。
1は、「宗教としての天皇制」という論点である。日本においては戦後に象徴天皇制が定着したといってよいが、天皇の宗教的役割・宗教的関与については考察すべき問題がある。この点について、宮中祭祀を(国事行為としての儀式から区別して)天皇の私的な行事としてとらえることは妥当なのかは議論が必要である。
2について、奥山氏は別格官幣社制度を例にとって解説した。人を神として祭る習俗がおおよそ江戸期ごろから日本に存在しているが、別格官幣社制度はそれが近代国家と結びついたものといえる。国家による顕彰という元来の目的から、近年の靖国神社問題のような慰霊と追悼の問題は派生しているのである。ただし、この問題においては、地元のひとによる郷土の偉人の自発的な崇拝という側面も多分に含まれているので、すべてを一概に近代国家による偉人顕彰と規定するわけにはいけないとの留保もつけた。
3は、2009年8月30日におこなわれた衆議院選挙に幸福実現党が多くの候補者を擁立したため、たいへんホットなテーマといえるであろう。奥山氏は、戦後日本政治における公明党の伸長を概観した。公明党が55年体制下で第三極として一定の役割を担い、選挙においても支持を受けてきた様子を説明した。また、とくに政教分離を明確化した1970年代以降、創価学会と公明党を同一視して議論することは不可能であるとの指摘もあった。

以上のレクチャーに対して、出席者から「宮中祭祀を公的なものでないとした場合、天皇の権威の根拠について議論がなされているのか」という質問があった。奥山氏は、「マスコミにおいては天皇の権威の源泉であるはずの宮中祭祀を公的なものとして議論しないできた。研究においてもいくつかの例外を除いて、祭祀王としての天皇を論じてこなかった」と回答した。べつの出席者からは「公明党の事例をもって、日本の政治で宗教の影響力が存在していると考えてよいのか」との質問があったが、これについては「今回の衆議院選挙においても、民主党の側を応援した宗教団体が存在することから、一定の影響力があると判断できる」と回答した。

最後に羽田先生から、奥山氏のおこなったような比較研究は前近代、すなわち「政治」と「宗教」というタームが確立する以前についても可能なのか、あるいは近代という普遍を前提にしないと比較は不可能なのか、との問いかけがあった。奥山氏の答えは、「宗教」はカテゴリーを指す語なので宗教学ははじめから○○教と××教との比較が含まれているといえるが、その際も比較の根拠がつねに問われるであろう、というものであった。
(報告:内田力)

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