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パレスチナ/イスラエルより(02)――ベンヴェニスティ氏

2010.01.12 早尾貴紀

 今度3月にUTCPで招聘することになった、イスラエルのメロン・ベンヴェニスティ(Meron Benvenisti)氏とミーティングをもちました。

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 メロン・ベンヴェニスティ氏は、イスラエルでは著名な歴史・政治学者の重鎮で、2004年にはNHKスペシャル「ドキュメント・エルサレム」で取り上げられたことがありますが、今度が初来日になります。
 近年の大きな仕事としては、イスラエルの1948年の建国後から、いかにパレスチナの土地が収奪・破壊され、その名前まで抹消されたのか、そしてそこにユダヤ人の町がつくられ、聖書由来のユダヤ名がつけられ、土地全体の「ユダヤ化」がはかられていったのかを、詳細に検証した Sacred Landscape: The Buried History of the Holy Land Since 1948 があります。この本は、大きな反響を呼びました。

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 ベンヴェニスティ氏は、スファラディ―系(地中海圏)の父親とアシュケナジー系(東欧圏)の母親をもち、シオニズム運動(ユダヤ人の民族国家を目指す運動)のなかでパレスチナに移住したこの二人のあいだに生まれました(1934年)。家族の共通語は、新しくシオニズム運動とともにつくられた近代ヘブライ語となり、ベンヴェニスティ氏もシオニズムを誇りとする家庭に育ちました。
 しかし、「奇蹟の建国」とされたユダヤ人国家も、パレスチナの村の廃墟のうえに建てられ、内部には2割ものアラブ人を抱え、さらに1967年の西岸・ガザ地区の占領と、それ以降の入植政策を経て、シオニズムの夢、すなわち純粋なユダヤ人国家の理想はどんどんと内部から崩れていきました。

 ベンヴェニスティ氏は、そうした理想と現実との乖離のなかで、シオニズム的価値観と生身のアラブ人の存在とのあいだで、長く誠実に格闘をしてきた、歴史の生き証人と言えます。
 1970年代には、エルサレム市長の助役として占領地東エルサレムの行政にも携わり、80年代には、入植地のデータベース・プロジェクトを担いました。ユダヤ人からもパレスチナ人からも、右派からも左派からも、それぞれ非難と誤解を受けましたが、自分の信念を貫いて言論活動をリードしてきました。

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 そうしたなかで、アラブ・パレスチナ人と共存しなければならない現実を直視し、「親密なる敵(Intimate Enemy)」と土地を共有せざるをえないことを認め、さらに近年は、シオニズム運動の終焉(失敗)を宣言し、自ら「一国家論/バイナショナリズム(一つの国家の枠でユダヤ人とアラブ人が共存すること)」を支持することを明確にしています。「もう私はシオニストではない」、と。

 3月中旬の来日です。
 エルサレム問題、占領・入植政策、土地のユダヤ化、パレスチナ人との共存などいくつかのテーマで講演会を予定しています。

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