【報告】UTCPレクチャー "Limits of grammatical arbitrariness in Wittgenstein"
2009年10月14日、「ウィトゲンシュタインにおける文法の恣意性の諸限界(Limits of grammatical arbitrariness in Wittgenstein)」と題した講演会が開催された。
講演者は、現在、東京大学総合文化研究科の言語情報科学専攻(大堀壽夫研究室)に所属されているヘンリック・ヴォス(Henrik Voss)氏である。今回の講演では氏が準備されている博士論文の内容に関して、ウィトゲンシュタインと経験的言語学(特に認知言語学)との関係について、ウィトゲンシュタインの文法概念を中心に議論が展開された。
ウィトゲンシュタインの後期哲学における「家族的類似性」や「使用としての意味」といった諸概念は、認知言語学の誕生の一契機となるなど、経験的な言語研究に対して多大な影響を与えてきた。だが、ウィトゲンシュタイン研究において言語学で培われた知見が援用されることはそれに比べて稀である。ヴォス氏はウィトゲンシュタインにおける「文法の恣意性」という概念を焦点として、その解明を企てるとともに、言語学の経験的知見を利用してその解釈を深化させることをもくろむ。講演の前半では主にウィトゲンシュタインの文法概念の解明とその哲学的含意に関する議論が行われ、後半では主に関連する言語学的知見の紹介とその援用に関する議論が行われた。
ウィトゲンシュタインの文法という概念は日常われわれが理解しているよりも幅広い外延をもつものとして使用されており、「語を文へと構成する規則」という意味を越えて、たとえば「算術の文法」や「色の文法」といったかたちで、世界のなかに見出されるさまざまな秩序や体系の構成に関わるものとして捉えられている。ウィトゲンシュタインは文法を恣意的なものとして、つまり、さまざまな動機づけからのある種の自由をもつものとして――したがって「他なる文法」の可能性を孕んだものとして――捉えている。
だが、文法には何らの制約も課されていないというわけではない。そこには「人間的制約」と「社会的制約」が見出される。それらの制約については哲学的次元での議論がなされているが、ヴォス氏は言語学における諸概念――たとえば、「プロトタイプ」、「イコン性」、「文法化」といった諸概念――を用いてそれらの制約の在り方を具体的に議論してゆく。(実際の講演ではそれぞれの論点に関してさらに詳細な議論が展開されたが、準備中の博士論文の内容に関わるものであるため、ここではその概要を報告するに留めたい)。
講演後、会場からは、講演タイトルにある「限界」の意味を問うものや、文法の日常的な意味との関連で論理と言語の関係を問うもの、カテゴリーの曖昧性という問題に関するものなど、さまざまな質問が提起された。閉会に際しては、司会の村田先生から博士論文の見通しについての質問もなされ、ヴォス氏は準備状況と今後の展開について丁寧に応答してくださった。
(文責・小口峰樹)