【報告】第6回こまば脳カフェ
12月22日、第6回こまば脳カフェ・クリスマス特別版「哲学×脳科学」が駒場生協食堂3階(駒場コミュニケーションプラザ3階 交流ラウンジ〕で開催された。これまでの脳カフェでは主に脳科学の若手研究者をゲストに迎えてきたが、今回は、「哲学」を専門とする河野哲也さんと戸田山和久さんのお二人がゲストとして、さらに「脳科学」を専門とする大学院生の飯島和樹さんが指定討論者として参加した。
今回の企画は第1回目のゲストであった菅野康太さんがファシリテーターとして企画側にまわって「哲学」と「脳科学」のあいだでどのような共通点や相違点があるのかを明確にしながら対話をすることを目指した。魅力的なテーマとゲストのおかげで多くの参加者が集い、カフェとは雰囲気が遠くなってしまったが、哲学と脳科学のあいだをめぐる刺激的な議論がかわされた。
まずは河野さんによる話題提供「脳科学者がなかなか答えてくれないこと」からスタートした。河野さんははじめに最近の脳科学批判の流れを紹介した上で、「感情」とよばれるものが、「自然的」なものか「社会構成的」なものなのか、という問いをたて、現代哲学や社会学、生物学の知見を用いつつ論を進めた。そして、感情はそれが生じる社会状況に埋め込まれたものであり、そうした一回限りの感情を脳科学(における脳状態の記述)で説明することの難しさを指摘した。補足として、「こわい」という感情を感じないことに疑問をいだく鉄腕アトムを紹介し、アトムの疑問自体が戸惑いや嘆きという感情を含んでいるのではないか、感情と知性は区別できるものなのかと問うた。
戸田山さんの話題提供は、どちらかといえば脳科学ではなく哲学、より正確には脳神経倫理学に対し、そのあり方を問うたものであった。戸田山さんによれば脳神経倫理学は、技術応用による直接的な倫理的葛藤や法的問題と、人間観や道徳心理学への影響を通じた間接的倫理問題の二つに大別できる。そこで脳神経倫理学の予防倫理的性格、すなわち予め生じうる問題を想定して心配することによって、技術的幻想をかえって強化してしまうという可能性を指摘した。哲学者がこれまで問うてきたわれわれの自由概念と、それに対して脳科学が明らかにしたことは、どちらもそれほど自明のものではないのである。概念は変化するという前提の上で、哲学の任務は、議論のペースをゆっくりとさせることではないかと提案した。
哲学者への応答として、飯島さんは基礎的な視覚の神経科学の研究成果の解説の後、 複雑な「こころ」を脳の活動から読むことを試みた。そのために特に複雑な「愛」と呼ばれる心的現象をとりあげ、「愛」には社会的要因と生物学的要因があるが、様々な定義のもとでの「愛」と脳活動との対応を観察することで、より妥当な概念への到達、あるいは概念の拡張が可能になるはないか、と指摘した。そして脳科学は規範を語らないが、規範を構築する際の基盤となるデータを提供することができるのだと述べた。
また、ファシリテーターの菅野さんは、科学は「AはBである」というような、判断の根拠は提示しうるが「AはBであるべきである」という価値判断をするものではなく、物事がどうあるべきかは社会が決めるものだと指摘し、自我やこころに関わるような性同一性障害や気分障害の治療を例に挙げ、社会全体でそのような問題に取り組むためにも分野を超えた議論が必要であると呼びかけた。
ディスカッションでは、指定討論者であった飯島さんへの質問や疑問が集中した。まず参加していた理化学研究所の脳科学者から、脳科学者は現在の脳科学における研究で明らかになっていないことについて、はっきりと「わからない」ことを伝えなければならないといった指摘がなされた。また、飯島さんの用いたサルの実験を紹介するスライドに「知覚判断」という用語が使われていたことから、サルが知覚判断をするということは脳科学者のコミュニティでは一般的な了解になっているのかという質問がなされ、もしも一般的であるなら科学者の用いる言説によってわれわれの日常的に用いている概念が変化してしまうのではないかという懸念が表明された。飯島さんは 脳科学のコミュニティではサルの研究における知覚判断という用語は一般的であり、研究コミュニティの外部との対話の際には、どのような定義で言葉を使っているかを明らかにすることで、一方的な概念の押し付けを避け、対話を成立させることが可能となると答えた。それに対して戸田山さんは、科学者の用語はむしろ自由であるべきで、コミュニティの内部で使われている用語が外部にでるときに概念の交通整理をすることが哲学者の役目であるという見解を述べた。また、哲学と脳科学との間の意見交換と応答の場を可視化していくことの必要性が指摘された。河野さんは、脳科学への過剰な期待は、数年前に心理学が流行したのと同じで、中高の教育で教えていないことに起因するのではないかと述べ、そこで脳科学に対する批判的リテラシーが必要だと主張した。
以上、適度な緊張感のもと、哲学と脳科学をめぐる前向きな提言などを含んだ建設的な議論がなされた。そのなかのいくつかは、私自身も関心をもって考えていたことも多かった。たとえば戸田山さんの指摘したサイエンスカフェなどで脳科学者のResearch Questionを共有することの重要性や、会場から意見の出た脳科学と哲学の対話の場の重要性については、脳カフェを開催しながら考えていることだ。哲学と脳科学をめぐっては、とうてい2時間で語り尽くせるわけはなく、まだまだ論点が多く残されたが、来年以降の脳カフェなどでも議論を続けることができればと思う。
(報告:中尾麻伊香)