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時の彩り(つれづれ、草) 085

2009.11.06 小林康夫, 来訪

 来訪(パトリック・ギヨマール夫妻)

11月5日の午前、パリ第7大学の精神分析の専門家パトリック・ギヨマール教授、ドミニック・ギヨマール教授夫妻(精神分析)がUTCPを来訪されました。

今回はプライベートな滞在だったようですが、わざわざ来訪してくださいました。原和之さんとわたしなどで対応。ちょうど夫人の著書がパリで刊行された直後ということもあって、「母的なるもの」をめぐる主題をめぐって活発な議論の応酬がありました。議論は構内レストランでの会食でも続けられました。

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今週の月曜に「四つのディスクール」についてワークショップを行ったばかり、しかも翌日の岡田茉莉子さんの自伝刊行に関連したイベントでは「母の母の母」という問題系を「父の父の父」という問題系にクロスさせてパフォーマンスをしたばかりということもあって、ラカンのもとで勉強したギヨマール夫妻との議論はまさに素晴らしいタイミングでした。来年度、可能なら招聘、あるいはパリでのセミナー開催などいろいろ将来につながる話もできました。


 「四つのディスクール」

そのラカンについてのワークショップですが、5月のアラン・ジュランヴィルさんの講演への応答を通じて、資本主義の無意識の構造を読み出そうとする試み。思いがけず、内海健さんら専門家の方々も何人か聞きにきてくださって、レベルの高い議論ができました。ありがとうございました。

 「駒場キャンパスと教養」

そしてさらに昨日(11月5日)は、西山雄二さんのゼミに招かれてトーク。大学=教養をめぐるわたし自身の道のりを少しお話ししながら、これも前からずっと気になっていたジャック・デリダの「生きることを学ぶ、ついに」への応答を試みました。端的に切り出してしまえば、「生きることをずっと学び続けてきた、しかし、嗚呼!、まだ生きていない」というもの。このような言葉に言いえたことがわたしにとっては意味がありました。その後の若い駒場生たちとの会話も楽しかったです。

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 レヴィ=ストロース追悼

そのトークでも、冒頭に、今週100歳で亡くなったレヴィ=ストロースへの追悼の「献花」としてかれの「遠近の回想」から一文を朗読させてもらいました。ついでに、というわけでもないが、今日、金曜の駒場の1年生のフランス語(既習クラスです、為念)の授業でも、急遽、レヴィ=ストロースが2005年に行った「ナショナル・アイデンティティを前にした民俗学者」と題されたスピーチを配って読ませてしまいました。乱暴は承知、でも「駒場キャンパスと教養」のトークでも思わず語っていた「外国語への奇妙な愛」のわたしなりのひとつの実演なのですが……さて、かれらはどう受け止めたでしょうか?

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