【報告】UTCPレクチャー「時間に住む、または廃墟の詩学」
2009年10月2日、UTCPレクチャー「時間に住む、または廃墟の詩学」が行われた。
【講演者ミュリエル・ラディック氏】
講演者は仏サン・テティエンヌ国立高等建築学校教員で、現在は国際日本文化研究センター客員研究員として京都に滞在中のミュリエル・ラディック氏。建築を一貫して関心の対象としながらも、はじめ設計を学び、のちにより理論的・哲学的なアプローチへと移行した経歴の持ち主である氏は、2005年にパリ第8大学で博士号を取得されており、今回の講演も博士論文を出発点とするものだった(同論文はTraces et fragments dans l'esthétique japonaise 〔日本の美学における痕跡と断片〕という表題で08年に公刊されている)。
議論はまず廃墟についての一般的考察からはじまった。ラディック氏にとって廃墟とは何よりもまず「境界的 limitrophe」、つまり人為/自然、形相/質料、内/外といった異なる領域のちょうど中間を指し示す形象である。人間の手によって建てられた構築物が、時間の経過とともにその直立性を失い、ふたたび当初の無形状態へと崩壊していく――その過程を、かろうじていまだ形として体現しているもの、それが廃墟であり、したがってそこには「時の凍結」を見て取ることができる、と氏は指摘する。
「境界的」であるがゆえに、廃墟という形象のもつ意味合いは視点によって変化する。人為の側に立つならそれは、自然の力を前にして理性や技術は結局むなしくついえさる他はない、という過酷な事実をつきつけるものだろう。逆に技術の過度の発達を懸念する立場から見るならば、それでも最後にはやはり自然は優位を取り戻す、という希望の徴かもしれない。
実のところ、「落ちること、落下」を意味するラテン語 ruere から派生していることにも明らかな通り、西欧的思考にとって廃墟 ruine は本来、「堕落」「失墜」といった否定的な含意を備えていた。しかし18世紀の訪れとともに一種の価値転換が行われるとラディック氏はいう。「啓蒙の世紀」は廃墟のなかに、不可逆的に崩壊へと向かう一方向的な時間ではなく、再生の可能性を孕んだ循環的な時間を、したがって新たな創造の萌芽を見た。 この時代、絵画、文学、建築、庭園術など、さまざまな分野で廃墟への関心が強まるが、その理由の一端はこのような視点の反転にある、というのが氏の考えだ。
では日本はどうか。「廃墟」という語そのものが登場するのは比較的最近だが、「廃園」「破屋」「宿」といった古語には、 やはり時間の経過に対する鋭敏な意識が現れているとラディック氏は述べる。すべては移り変わり、やがて滅びて、ふたたび新たな生を享ける。こうした思想――つまり無常観――の現れを氏は文学・絵画作品や建築(庵、茶室)の細部に探り当てていく。
こうしてみると、時間を破壊/再生の循環として捉える点で近代西欧美学と日本の美学は接続する、とひとまず言えそうである。しかし廃墟に向かい合ったとき、前者の関心があくまでいま・ここに存在する物体を離れないのに対して、日本的感性にとって本質的なのは、そうした物体を通してもはや消え去ったもの、すなわち不在へと想像力を及ばせていくことなのだとラディック氏はいう。氏の著書の題名に見られる語を用いて言い換えるなら、西欧的廃墟とは(現存在としての)「断片」であり、日本的廃墟とは(不在への導入としての)「痕跡」なのである。
無常観が日本的感性の根柢にあるとして、伝統的な日本建築の主な構成要素が木と紙という、文字通りあとかたもなく消滅してしまう「はかない」素材だったことはやはり重要だとラディック氏は述べる。ならば、それとはまったく違った恒久的素材――コンクリート、鉄、等々――へとほぼ全面的に移行した現代日本において、廃墟の形象はどのような変身を遂げるのか。興味深いのは過去20年ほどの日本に、一種「廃墟ブーム」とでもいったものが見られることだ(ガイドブック『廃墟の歩き方』、ウェブサイト「廃墟seeing」「 廃king」……)。この「ブーム」を通して浮かび上がってくるのは、現代建築もまた時間の経過のなかにあり、老朽化と崩壊への道を辿るものなのだという事実である。このことに含まれるアイロニーは、たとえば近代日本の象徴であった長崎県端島[はしま]、通称「軍艦島」の、いまは住む人もなく荒れ果てた風景に顕著だろう。
軍艦島をはじめとする比較的最近の廃墟では、自然はいまだ優位を取り戻すには至っていない(しばしば雑草が繁茂しているが、建物全体を覆いつくしてはいない)。つまり破壊のあとに訪れるはずの再生の兆しはまだ見られない。そこに現れた時間の形は、したがって伝統的な円環のそれでは(まだ)ない。しかしラディック氏は写真家・宮本隆司の仕事に注意を促す。上記ブームの火付け役などと見なされることもある宮本だが、彼の捉えるイメージは厳密な意味での廃墟とは違う。むしろ、彼が自作のいくつかに与えている「解体現場」という呼称が鍵である。「解体」とはなるほど破壊に属する行為ではあるけれども、目的は新たな建設を可能にするという点にある。消滅と再生をともども視野に入れる思考は、現代の日本にも確実に生き延びているのであり、それは05年に行われた宮本の回顧展のタイトル「壊れゆくもの・生まれいずるもの」がはっきりと示すところだ。
【司会の三浦篤教授】
以上のような内容が呈示されたあと質疑応答となり、ピラネージの古代建築「復元」の試みや9/11、また伊勢の式年遷宮との関係など、さまざまな問いが提起された。なお講演自体はフランス語・通訳なしだったのに対し、ラディック氏は当然日本語を解されるので、質疑に関しては日本語も可である旨、はじめに司会の三浦篤教授が告知されたのだが、結局やり取りはすべてフランス語で行われた。対話からは、建築や美術、写真に関心を持つ研究者・学生の方々に加え、廃墟という主題そのものに惹かれて出席された方、また実際に設計に携わる建築家の方など、聴衆の顔ぶれがいつにもまして多様であることがうかがわれた。あくまで穏やかに、ひとつひとつの質問に丁寧に応えるラディック氏の姿が印象に残った。
この講演はUTCPの新中期教育プログラム「イメージ研究の再構築」正式発足後初のイベントであるが、あいにくの雨、また前述のように外国語のみの催事であったにもかかわらず、20名余の聴衆を得て、親密であると同時に活発な対話の場を設けることができた。本プログラムは11月にも計5つの企画を控えており、引き続き積極的な参加をお願いする次第である。
(文責:近藤 学)