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「世俗化・宗教・国家」セッション10

2009.10.09 羽田正, 渡邊祥子, 世俗化・宗教・国家

 2009年10月5日、「共生のための国際哲学特別研究Ⅲ」第10回セミナーが行われた。

 今回は、澤江史子『現代トルコの民主政治とイスラーム』(ナカニシヤ出版 2005年)を取り上げ、長谷部圭彦(日本学術振興会特別研究員)が報告を行った。

 澤江の本は3部に分かれる。序章「イスラームと政治」および第1部「世俗主義体制の中のイスラーム政党」では、政治と宗教の関係をめぐる分析概念の吟味と、トルコの建国イデオロギーであるケマリズムにおける政教関係の歴史的概観が行われる。それによると、ケマリズムのドグマに基づく磐石な国家と、イスラーム的言辞やアイデンティティにきわめて敏感な社会からなるトルコの政治は、世俗主義体制/イスラーム復興主義という二項対立の見かけにもかかわらず、実際は両者ともがナショナリズムとイスラームのシンボルを動員・利用しあい、こうした「シンボルの意味づけと、社会の価値規範を定義し分節化する制度の支配をめぐる競争と闘争」を行う、「トルコ的ムスリム政治」でありつづけた。1970年の国民秩序党、1972年の国民救済党を端緒とするトルコのイスラーム政党誕生の状況とイデオロギーを検討する中で、澤江は、現在も続く「世俗主義体制」内において、イスラーム的価値を称揚するトルコ的イスラーム政党の政治的立場を「反体制政党」と位置づけ、その性格を、「[特定のイデオロギーに忠実な]プログラム政党と呼ぶことは適当でない」プラグマティックな政党であると説明する。

 第2部「自由化・民主化時代のイスラーム政党」においては、1980年の軍事クーデタ以降の国家イデオロギーの変遷が、イスラーム諸政党の政党政治の舞台における台頭との関係で語られる。澤江によれば、1980年のクーデタは、「トルコ・イスラーム総合」の定式に要約される、イスラームの国民アイデンティティへの積極的な取入れをもたらした。つづくオザル政権下で「世俗主義体制」は変質し、澤江が「オザル・モデル」と呼ぶ路線、すなわち世俗主義原則と矛盾しない程度にムスリム・アイデンティティを取り入れつつ、対外経済開放・政治的自由化をめざすプラグマティックな路線をとる。オザル・モデルは、政治的自由化の下で活動を活発化させるイスラーム政党に影響を与え、それと競合関係に入る。1996年には、イスラーム政党・福祉党がいよいよ連立与党となり、政権を担当するが、1997年の「2月28日キャンペーン」にいたって軍部の介入により福祉党は非合法化、イスラーム政党は「反動勢力」として弾圧の対象へと一変させられてしまう。

 本書によれば、1997年の事件は「世俗主義体制が1980年代のTIS[トルコ・イスラーム総合]イデオロギーをリセットし、近代文明=西洋化=非イスラーム化という体制イデオロギーの原点に回帰することを明確に打ち出した意思表示と実力行使」であり、軍部による「擬似クーデタ」であった。この事件は同時に、トルコの世俗主義体制が、民主化の時代の中で、世俗主義ドグマを捨てて政治の完全な自由化へと向かわない限り、結局のところイスラーム勢力とイスラームとナショナリズムのシンボルを奪い合う「トルコ的ムスリム政治」から逃れることができないという、大きなディレンマを抱えていることを暴露した。つまり、「世俗主義体制は世俗化・西洋化した、民主主義の先進国トルコという理想について、前者か後者のどちらかをあきらめるしかない」という「トルコ的民主主義の限界」である。

 第3部「21世紀のイスラーム復興」は、イスラーム復興と市民社会の関係に触れつつ、イスラーム政党の将来が展望される。

 ディスカッションにおいては、類書が少ない中で、フィールドワークと詳細な調査に基づき現代トルコのイスラーム政党の活動を具体的に明らかにしたオリジナリティと、「民主主義」「政教分離」「個人の自由」といった、近代においてその正統性を自明視されてきた基礎概念の含むイデオロギー性と非自明性を批判し、独自の分析枠組みを構成しようとする本書のスタンスが高く評価された。そのうえで、現代トルコ政治の基礎であり、良くも悪くも政党政治がそれをめぐって展開する重心となっている現体制の世俗主義=ケマリズムへの歴史的・理論的分析が浅いのではないかという指摘がなされた。イランやその他の地域との類似点・相違点についても各自の専門の観点から議論が出された。

(文責:渡邊祥子)

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