「世俗化・宗教・国家」セッション11
2009年10月19日、「共生のための国際哲学特別研究III」第11回セミナーが行われた。
今回は、昨年UTCPで発表されたジャン・ボベロの講演論文「世俗化と脱宗教化」(翻訳=伊達聖伸)、「フランスにおけるライシテ−歴史と今日の課題」(翻訳=伊達聖伸)、そして「21世紀ライシテ宣言について」(翻訳=羽田正、UTCP 2009年)と工藤庸子『フランスの政教分離』(小柳学 2009年)を取り上げ、金原典子(UTCP RA研究員)が報告を行った。
「世俗化と脱宗教化」でボベロは「世俗化」の概念を、「世俗化」と「脱宗教化」に分別することで分析がより精密になり視野が広がると述べる。ボベロによれば、「世俗化」とは、「最も広い意味においては、近代社会—科学技術と結びついた合理性を中心とする基準によって機能する社会−において、宗教の社会的役割が衰退することを意味する」。しかしながら、この語彙は抽象的で拡大解釈されている場合が多く、分析概念としては有効性に欠ける。「世俗化」を「社会のなかで支配的な表象体系が、社会のダイナミズムの複雑なはたらきによって宗教の支配から抜け出」す過程、そして「脱宗教化」を「政治の決定機関ならびに社会のさまざまな制度が宗教に対して自律」する過程と定義することで、単線的ではない二つの過程をそれぞれ限定的にとらえることができるとする。
「フランスにおけるライシテ−歴史と今日の課題」では、フランスにおけるライシテの歴史の見取り図が描きだされている。ボベロは、脱宗教化の過程において起こるライシテを段階別に考察する。「ライシテの第一段階」は、19世紀初頭ボナパルトがカトリックとフランス革命を参照するフランス(「二つのフランス」)の間にもたらした政教関係、コンコルダに始まる。この時点でカトリックは半公認宗教となり、教会は国家により厳しく管理されるが聖職者は国家から俸給を受けていた。1905年に政教分離法の成立しコンコルダが終焉したことで「ライシテの第二段階」が始まり、制度的にフランスはライシテに基づく国となる。20世紀前半を通して「二つのフランス」が次第に和解し、「ライシテ第三段階」が一1960年代から1980年代後半にはじまる。この時期フランスではいくつかの大変動があり、ナショナル・アイデンティティーと密接に関わり社会的価値を形成してきた、ライシテと共和国についてのコンセンサスが揺らぐ。特に1989年には、ベルリンの壁崩壊、「サルマンラシュディー事件」、そして公立中学校でのムスリム女子生徒のヴェールの着用の問題が起こり、「イスラーム主義」や(文化的・宗教的)権利主張を指す「共同体主義」がナショナル・アイデンティティーの基礎をなす共和国及びライシテの脅威として捉えられるようになる。その結果としてのちに工藤の論文でも論じられるように、2004年公立校における「目立った」宗教的標章を禁じる法律が成立する。
「21世紀ライシテ宣言について」では、ボベロ他二名の研究者により打ち出された21世紀宣言においてライシテがフランスだけのものではなく、世界各地で通用する普遍的な概念であることが宣言されていると説明される。宣言の根本原則とは、1.「民主主義的な公的秩序の範囲内で、国家が信条の自由とそれを個人や集団で実践することの自由を保障することの必要性とこの自由が社会的に持つ意味。2. すべての宗教と [哲学的]信条について国家と公的機関が自律を保つこと。3.権利を行使する際の平等、非差別の原則、この平等を尊重するための合理的妥協」である。結論では、ライシテが多様な社会に対応することのできる柔軟で普遍的な概念であり、決して近年フランスで見られるようなナショナリスト的なものではないことが主張されている。
『フランスの政教分離』で工藤は、フランス国内で問題とされているムスリムの統合への対応策として発行された公文に見られる「ライシテ」概念を第一部で分析し、第二部でその内容をケベックの「インターカルチュラリズム」についての公文と比較することで、フランス共和国のアイデンティティとして確立した「ライシテ」が「民族・文化的な差異」を受入れない排他的な制度となっていることを浮き彫りにする。2004年シラク大統領により召集された「共和国におけるライシテ原則の適用に関する検討委員会」(「スタジ委員会」)による報告書の中核をなす議論は、ライシテが「共和国契約pacte républicanの基礎をなす価値」であり、これが近年一部の「共同体主義」による強引な「権利主張」により脅かされているというものである。工藤によれば、ここでの「共同体主義」はムスリムを指している。そして現在の「スカーフ問題」は「イスラームの男女差別」に由来し、共和国の制度にあるのではないという態度が読み取れる。そこで、工藤はスカーフを着用する女性の声がまったく書かれていないことを批判する。結論では、フランスの「ライシテ」は、異文化間の問題をその問題の起こる現場でのインターアクションを基に個々に対処していくというより柔軟な概念であるケベックの「インターカルチュラリズム」から何か学べるのではないかと述べられている。
発表者の報告の後、去年の講演でも問題となったボベロの提示する「ライシテ」が普遍的なものでありうるか、という点を中心にさらに議論がなされた。報告者は、ボベロの脱宗教化の結果である「ライシテ」についての議論がフランスの例を基にしているので普遍的であるとはいえないと感想を述べた。参加者の中から、「21世紀ライシテ宣言」における「ライシテ」は政治的概念として語られているのであり分析概念ではないのではないか、という意見が出された。これに対し、それでは「ライシテ」を普遍的な分析概念として扱うこと、そして世界が「ライシテ」に至るまでの歴史叙述をする努力はボベロの政治的イデオロギーを肯定することにすぎないのか、という疑問が提出された。また、ボベロが「段階」という言葉を使うことで、それぞれの地域が「西欧近代」を頂点としたモデルを進むことを想像させるのであって、別の方法を用いればよいという意見も出た。工藤の論文については、「市民」としての彼女がフランスでのムスリム女性のスカーフ着用について意見を述べる際に、その「市民」が具体的にどのような立場を意味するのかを読み取りにくいということが指摘された。この論文については、来週工藤氏自身がこのゼミで講演をして下さるので、その際に議論が続けられるだろう。
(文責:金原典子)