【UTCP Juventus】内田力
UTCP若手研究者プロフィール紹介・UTCP Juventus、2009年度第21回は内田力(RA研究員)が担当いたします。
~ある高校生の会話~
A:「日本史や世界史って変な科目だと思わない?」
B:「思う。あれって単なる暗記科目だよね」
A:「でも、大学で歴史学やってるひとって、歴史のことばっかりやって生きてるんでしょ?」
B:「昔のこと調べて何の意味があるんだろ?」
わたしの関心は“歴史学と社会の関係”にあります。より具体的にいえば、「社会の状況は歴史学にどのような影響を与えるのか」と「歴史学の研究はどうやって社会に影響を与えるのか」です。
この問題を考えるために、日本史家の網野善彦(1928-2004、以下敬称は省略いたします)の生涯に即して、彼の主著『無縁・公界・楽』(初版1978年、増補版1987年)で表現された思想を中心に研究しています。したがって、専門は「史学史」ということになります。歴史学の歴史、歴史家の歴史です。
網野と『無縁・公界・楽』は、“歴史学と社会の関係”を考えるための重要な位置にあります。網野が『無縁・公界・楽』を構想・出版・改訂した1970年代・80年代に、日本の中世(鎌倉時代~戦国時代)はそれまでと異なる視角から描かれるようになり、女性・非農業民・被差別民の活躍が強調されるようになりました。このような研究動向は一般に「社会史」研究と呼ばれ、日本史研究にとどまらない歴史学全体の興味・関心のひとつでした。さらにこれと同時に、その成果が一般書として広く読まれ、当時、出版界に社会史ブームを巻き起こしました。このような学問的・社会的状況の中心人物が網野善彦で、「社会史」の代表作が彼の『無縁・公界・楽』だったのです。
網野とこの作品が歴史学と社会の関係についてどのような可能性を切り開いたのかを明らかにすることがわたしの研究テーマです。この問題をつうじて、歴史学と社会とはどのような関係がありえるのかを考えております。
現在、つぎに挙げるような研究課題に取り組んでいます。
1.史学史のなかの網野と『無縁・公界・楽』
目下の課題は、『無縁・公界・楽』での網野の歴史学が日本の史学史のなかでどのような意義をもっているのかを探究することです。網野は、1950年代に「国民的歴史学運動」(「国民のための歴史学運動」)という運動で、国民と歴史学の関係を問いなおす活動に参加していました。これは政治運動の側面を強くもっていて、そのために結果として失敗に終わりました。それでも、当時の網野に歴史学の社会的責任を意識させる重要な契機になっています。網野はその後終生、「国民のために」歴史研究をすることを意識しつづけており、1970年代以降にその姿勢が「社会史」研究として知られるようになったのでした。このような視点から、国民的歴史学運動がどのような歴史学研究の可能性を当時示していたのか、そして、それを網野はどのように受け取ったのか、という問題が生まれてきます。
ここで気をつけなければならないのは、「社会史」の世界的な広がりです。「社会史」と呼ばれる研究動向は、日本では1920年代にも存在しているのですが、1920年代と1970年代にフランスやイギリス、アメリカでも類似の研究が行われていたことが指摘されています。もちろん「社会史」ということばはいろいろな文脈で用いられますので、軽々に結論づけるわけにいきませんが、それでも、類似の研究が近い時期に行われたのはなぜなのでしょう。そこには、“歴史学と社会の関係”になにか変化がおきていたのかもしれません。時間的にも空間的にも広範囲ですので「社会史」の全容を把握するのは困難でしょうが、このような問題を念頭に置きつつ網野の歴史学を研究していきたいと考えています。
2.網野無縁論の新たな進展のために
『無縁・公界・楽』を史学史のなかに位置づけようとするとき、網野の歴史学が提示した理論的な課題について進展させさることが不可欠です。というのも、『無縁・公界・楽』は歴史学の本であると同時に、中世史研究の立場から提示された自由論でもあるからです。『無縁・公界・楽』での「自由」のとらえかたは、人間関係における「縁切り」の可能性を高く評価するものでした。つまり、ひととの縁を切れることが、すなわち「自由」の存在する証拠であるという考えに立っていました。これは、“なにかを所有することで人間が自由になる”という考えかたとはまったく異なる視野をもっており、このような面については網野の歴史学を理論として議論する必要があります。そのために、網野が『無縁・公界・楽』のなかで表現しようとしたことを思想として捉え、どのように発展させればよいのか、これが重要な課題として浮上してきます。こちらの課題はいまだ試行錯誤で失敗続出のありさまですが、この作業によって、網野の歴史学を “共生のための歴史学”として考えることができるのではないかと考えています。
終わりに
どの研究領域でもそうですが、とくに歴史学は、さまざまな役割をもっていて、大学のなかだけで完結するものではありません。たとえば、歴史書の出版や歴史教育、あるいは観光資源といったように、その役割は多様です。史学史研究をつうじて、このような問題にも将来的には接近していきたいと思っています。
冒頭の会話文はわたしが高校時代に耳にしたものです(一字一句精確というわけではありませんが)。だれの発したことばだったかも忘れてしまいましたが、あのときの疑問にむけて研究を進めていきたいと考えています。
みなさま、今後ともどうぞよろしくお願いします。