【UTCP Juventus】大野晃由
2009年度UTCP Juventus第20回は,RA研究員の大野晃由(フランスロマン主義研究)が担当します。
私の研究は,ヴィクトル・ユゴーとアルフォンス・ド・ラマルティーヌという二人のフランスロマン主義の作家を対象としています。私はもともとヴィクトル・ユゴーの七月王政期(1830-48年)に書かれた詩と戯曲を中心に文学的なアプローチを用いて作品を読んできました。しかし最近ではむしろ彼らが生き,作品を生み出した時代,とりわけ共和国や普通選挙,世俗化についての議論に,作家や詩人たちがいかにかかわったのかという問題へと関心を広げてきました。今日の私たちにとって当たり前の政治制度が(少なくとも継続的かつ現実的なものとしては)はじめて理論から実践に移された時代を,文学作品という鏡をとおして再考したいと思っています。
以下では簡単に,私が関心を持って取り組んでいる課題について述べます。
1. 「詩人政治家」の歴史的条件
18世紀末から19世紀前半のフランスにおいて,書物の普及と民主主義の進展は相互に補完し合うものとして現れました。書物や新聞が世論や公共圏の形成に多大な影響を及ぼしたというだけでなく,この時期のフランスでは類を見ないほど多くの作家・文筆家が政治家として活躍します。二月革命期の臨時政府の外務大臣として知られるラマルティーヌはもちろん,ユゴー,批評家サント=ブーヴ,新聞王ジラルダン,歴史家のギゾーやティエール,その前の世代ではシャトーブリアンやコンスタンを挙げることができるでしょう。落選しましたが『モンテ・クリスト伯』で知られるアレクサンドル・デュマ(父)も第二共和制の議員に立候補しています。都市には貸本屋Cabinet de lectureが林立し,『ラ・プレス』をはじめとする安価な新聞が普及して活字メディアが人々の身の回りに溢れるようになった時代,詩人や作家たちは——テオフィル・ゴーティエのように「芸術のための芸術」を唱える者もいる一方で——いわば預言者のような,民衆の教導者としての地位を要求します。19世紀のフランスにおいて,「詩人Poète」という像は,今日の私たちが考えるよりもはるかに政治的なニュアンスを含んだものでした。彼らは権力の中核にあって実践的に社会改良を行っていく志向を持っていた点で,ゾラを代表としてあくまで在野から政府批判を行う世紀末の「知識人intellectuel」とも異なる存在であったことが既に知られています。
こうした時代を背景に書かれた彼らの作品は,「ロマンティックな」という日本語からは想像もできない多様性を含んでいます。一冊の詩集の中に,恋の詩や自然を描いた詩と並んでナポレオンへの賛歌やナショナリズムを高揚させる詩,死刑反対を謳った詩などが収められていたり,中世を題材としたメロドラマ風の恋愛劇のうちに,同時代の政府への諷刺や貧民の救済を訴える演説が織り込まれたりしていることも珍しくありません。演劇の検閲が行われていた七月王政期に幾度も作品の上演禁止処分を受けたユゴーは,たびたび作品の序文を政府への攻撃に費やしました。
私の研究の第一の課題は,こうした「詩人」たちの二つの側面をつなぐ回路を見出すことにあります。彼らの作品世界と彼らの生きた時代はどのように連続し,あるいは断絶していたのか。自由に書くことのできる物語の世界で展開した思想が現実の世界に直面した時,彼らはいかなる挫折を味わい,そこからどのように展開していったのか。そして政治家としての経験が,作品にいかに還流していったのか。こうした問題をテクスト分析によって明らかにすることで,この時代に「詩人政治家」が可能になり,また求められた条件を考察したいと思っています。
修士論文ではこの課題にユゴーを題材として取り組み,彼が七月王政期から第二共和制期にかけて書いた様々なジャンルのテクスト(詩,小説,戯曲,評論,演説,日記)を分析して,作品,とりわけ戯曲作品の主人公たちが,政治家としてのユゴーの活動のモデルとして描かれていたことを明らかにしました。ユゴーの作品は単なる虚構でも同時代の反映でもなく,現実世界と互いに侵入し合い,これから自分が進むべき「詩人政治家」の姿を聴衆たちに示すものだったのです。
2. 民主主義とメディア
アルフォンス・ド・ラマルティーヌは二月革命の首班の一人として(男子)普通選挙の導入に尽力しました。彼らは「民衆」の意志をいささか楽観的に信頼し,それに従って国家を運営するために普通選挙を採用するのですが,普通選挙が最良の意志決定の手段であるという考えは,二月革命当時にはまったく一般的なものではありません。アレクシス・ド・トクヴィルがすでに普通選挙の暴力性を看破していたことはよく知られていますが,ユゴーもまた革命当初は普通選挙を否定的に捉えていました。私の第二の研究課題は,「詩人政治家」たちが議員として,普通選挙をどのように理解し,またメディアの中で振る舞ったのかを明らかにすることです。
修士論文ではユゴーの普通選挙に対する見方とメディアの関係について考察しました。ユゴーは「共和国」を集合的主体としての「民衆」の意志による国家運営として捉えていましたが,その表象システムとして選挙が機能するためには投票者が充分に啓蒙されていなければならないと彼は考えました。逆説的ですが,啓蒙が不充分な民衆に選挙権を与えることは,結果として「民衆」の意志の達成を妨げることになる。そこで預言者としての「詩人」は,民衆を教化するだけでなく,いわば魔術的な力によって「民衆」の声を聞き,それを代弁して政策にするのだと,彼は述べます。したがってユゴーによれば,王政や貴族政あるいは制限選挙は「共和国」と必ずしも対立するものではありませんし,彼自身勅撰の貴族院議員として政治生命を開始し,革命期には王政の擁護を訴えています。
1848年の革命で実現した普通選挙が,皮肉にもその導入に力のあった社会主義者たちの惨敗と,ルイ・ナポレオンによるクー・デタと帝政の承認という結果を生んだことはよく知られています。その中で,革命の時点では普通選挙に対して正反対の意見を持っていたラマルティーヌとユゴーは政治家として対照的な道を歩むことになります。すなわち大統領選挙でルイ・ナポレオンに惨敗したラマルティーヌが民衆に対して絶望し,51年のクー・デタ後に引退して忘れ去られたのに対して,普通選挙の支持に転じ,第二帝政期には亡命先から共和制の復興を訴えたユゴーは「共和制の父」としてパンテオンに国葬され,今日にいたるまで尊敬の対象となります。一見きわめて近い二人ですが,普通選挙制度を軸にして描かれるこの対照は,普通選挙とメディアとの相互関係を考える上で大きな意味を持っているように思われます。
出版メディアを「詩人政治家」たちはどのようにとらえ,利用していたのでしょうか?ユゴーはごく早い時期からメディアが民主主義において最も重要な地位を占めることを見抜いていました。彼の政治論において,活字メディアは「詩人」や政治家が自らの思想を表明する場であると同時に,議会での議論を——まるで,演劇を見,批評し合う観客たちのように——国家全体に拡大し,議論する空間を生み出す装置として位置づけられます。またメディアの複製能力が,独裁者の情報統制に対する最大の武器であると彼はすでにこの時期に考えていました。ユゴーは出版メディアをよく理解していただけでなく,それを非常にうまく利用し,帝政期には亡命先から中傷パンフレット『小ナポレオン』や諷刺詩集『懲罰詩集』,小説『レ・ミゼラブル』を出版し,また世界中の新聞に寄稿しています。
しかし一方でメディア自身が彼らを批評し,イメージを作り上げます。作家としても政治家としても,ユゴーとラマルティーヌが歩んだキャリアがこれほど対照的なものとなったことに,メディアが多大な影響を行使していたことは言うまでもありません。私は現在,当時の膨大な新聞のうちのいくつかを調査し,その中で描かれた「詩人」たちの像を検討することで,これまで作家たちの作品研究に重心をおいてきた文学研究から少し軸足をずらして,メディアとの相互関係を結びながら活動した「詩人」たちという側面に光を当てたいと考えています。
3. キリスト教・文明・ヨーロッパ
この時代のフランスでは,カトリック教会と国家の関係が大きな問題となったことは既に知られています。中世以来,人々の誕生から死まで日常生活のあらゆる場に権力を持っていたカトリック教会から国家が権力を奪い,宗教と政治を分離しようとする動きは,1789年の革命以来,19世紀の末まで長い時間をかけて行われ,最大の政治問題でした。1989年に表面化した「スカーフ問題」以降,偏狭さとヨーロッパ中心主義の象徴として語られることの多いフランスのライシテ(脱宗教性)ですが,19世紀においては公的空間から宗教的な要素を排除することは,個人の内面における信教の自由の保障のために主張されたものでした。
UTCPでの私の活動に一番強くかかわるのはこの問題で,現代の多くの国家で取り入れられ,また問題化している政教分離を考察する上で,その起源である19世紀のフランスにもう一度光を当てようと試みています。ユゴーの政教分離論はその後のフランス史で必ずしも主流を形成した訳ではありませんが,「文明」や「ヨーロッパ」にかんする議論とキリスト教との間にある両義的な関係を考える上でも非常に重要であると私は考えています。
ユゴーは議会生活の開始時点ではローマ教皇の政治的リーダーシップを讃える演説を行いますが,1850年前後から,当時としてはかなり先鋭的な反教権・世俗主義者として発言するようになります。彼は公教育から宗教的なものを完全に排除するように主張し,イタリアでのローマ教皇の政治的権限の撤廃,すなわち「世俗化と国民性」とを求めるようになるのです。これは単なる転向と言えるでしょうか?私はむしろ,ライシテが明確な形を取ることのなかった移行期であるが故に,近代ヨーロッパにおける政教分離という思想が含みこむ複雑な構造が露出していると考えます。
ハンチントンの指摘を待つまでもなく,近代において宗教は「ヨーロッパ」と「アジア」を規定する地政学的布置の決定要因として中心的な役割を果たしてきました。これにキリスト教をはじめとする一神教を最も進歩した宗教とする進歩論が「科学的」言説として結合し,ヨーロッパ中心主義の裏付けとなっていたこともよく知られているとおりです。ユゴーはこうした世界観を,ある面では最も極端に確信していた人物であると言えます。彼は理念としての「ヨーロッパ合衆国」をはじめて提唱した人物でもありますが,その結合原理はキリスト教であり,さらに文明とキリスト教を同一視する進歩論に彼は疑いを持っていません。他方ユゴーは国家の進歩をキリスト教的理想の実現の過程としてとらえ,死刑の反対や普通選挙をキリスト教的政策として主張します。すなわちユゴーは共同体の構成原理としても法の根拠としてもキリスト教を排除していないどころか,積極的に利用すべきと述べます。ユゴーにとって重要なのは国家と教会・宗教を切り離すことではなく,国家がそれらを支配し,その権威を吸収・利用することでした。
近代国家は宗教的に中立である,あるいはそうあるべきだ,と私たちはごく当たり前のように考えます。それによって,あらゆる宗教が公正に扱われるのだ,と。しかしユゴーの世俗化論が明らかにするのは,当時の最も先鋭的な世俗化論者でさえ,近代国家の基盤にキリスト教をおくことをためらわなかったということです。まだ私の研究は途中ですが,他の「世俗化」論者にも程度の差はあれ同様の前提を共有していたように思われます。当時はカトリック教会との対立が争点でしたからそれは大きな問題にはなりませんでしたが,これが今日,キリスト教でも「ヨーロッパ」でもない人々に対して適用される時にどのような問題として浮かび上がるのか,あるいはキリスト教の基盤を持たない国家が「近代」を受容する時にいかなる問題を孕みうるのかを考える一例として,今後も調査と考察を続けていきたいと思っています。
おわりに
現代に直接繋がる形で近代国家としてのフランスが形成されていく中で,「詩人」たちが思想家として,あるいは政治家として極めて重要な影響を与えたことは疑いありません。「詩人」たちの思想を今,改めて検討することは,私たちが生きる現代を再考する上で大きな意味を持っていると私は考えます。そしてそれは彼らの文学作品に,あらたな読みの可能性を提示することになるでしょう。まだ構想としてきちんとまとまっている訳ではありませんが,博士論文では「詩人政治家」を制度としての文学が確立していなかった時代に特有の現象として位置づけた上で,虚構と現実の両側面で構想され,実践された「近代」のあり方について考察したいと考えています。