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【UTCP Juventus】渡邊祥子

2009.09.16 渡邊祥子, UTCP Juventus

2009年度UTCP Juventus第19回は、RA研究員の渡邊祥子(アルジェリア近代史、ナショナリズム研究)が担当します。

アルジェリアは、地中海を挟んでフランスの向かいに位置する北アフリカの国です。地理的にはローマ遺跡の点在する地中海沿岸諸都市から、南部には広大なサハラ砂漠を含み、文化的にはアラビア語(公用語)とイスラーム(憲法において国家の宗教とされる)を他の中東・北アフリカ諸国と共有しています。カミュの小説をイメージする方もいるかもしれませんし、映画『アルジェの戦い』(1965年、伊=アルジェリア)に描かれた1954年から62年に至る独立戦争を想起される方もあるかもしれません。また、1990-91年のイスラーム救済戦線(FIS)の地方・国政選挙での勝利に始まる血なまぐさい時代、イスラーム主義武装集団と軍隊との衝突と、無差別テロリズムの吹き荒れた陰惨な90年代のイメージをお持ちの方もいるでしょう。日本にとっては「地の果て」の国、アルジェリアを紹介しつつ、現在の研究について述べます。

植民地は郊外に似る
1830年から1962年まで、132年間に及ぶフランス支配は、ヨーロッパによって植民地化されたアラブ地域の中でも異例の長さであり、100万人を越える入植者の存在、北部3県はフランス国内扱いであったという政治的重要性、現地文化への抑圧と介入の深さから見ても、植民地支配はアルジェリアの歴史に深い傷を残している理由が納得できます。現在のアルジェの街の大部分(新市街)の建築は19世紀末に遡るもので、白い壁に青い窓枠の近代的なアパルトマンが軒を連ねる様子から、アルジェは「白い街」の美称で呼ばれます。旧市街は、アルジェ港を望む丘に張り付いたカスバ以外に残っておらず、シリアやモロッコの都市のハーラ(街区)のように、複雑な路地裏が纏綿と広がる風景は見られません。藤の絡みつくヴィラの建ち並ぶアルジェの住宅地、羊の遊ぶ周辺の豊かな農地は、「美し国フランス」の田舎のようです。これらも、独立戦争以降フランスに「帰って」行った入植者たちの残したものです。アルジェリア人は、武器を取って自分たちの土地を取り戻しましたが、植民地支配の痕跡は、街の景観に、文化の中に、ありありと残っています。

マグリブ(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)はアラブと言うよりは、ヨーロッパの巨大な郊外のようなものだ、というある方の意見を耳にしました。確かに、アラビア半島からやってきた人には、人々の外観も、街の景観も、文化的な嗜好も、アルジェリアはヨーロッパの写しのようでしょう。アルジェリアも中部の山岳地帯や南部サハラ地域に行けば、ベルベル(北アフリカの先住民)やサハラの民の豊かな伝統があるのですが、こうしたものにアルジェリア人の多くはあまり注意を払いません。アラブ・イスラーム主義者たちは、国内のイスラーム大学出身のウラマー(イスラーム知識人)を信用しません。エジプトやサウジアラビアなどの東アラブの国々に比べて、アルジェリアのイスラーム学は伝統が浅く、程度が低いと言う認識があるからです。

アルジェリアの歴史を紐解くと、それが古代以来、フェニキア、ローマ、ビザンツ、アラブ、オスマン朝、フランスといった外部勢力の侵入と、現地社会のそれへの抵抗、服従、協力、交流と文化的混血の繰り返しであることが理解できます。エジプトのピラミッドのように、アルジェリア独自の文化の達成を示すような歴史的モニュメントはなく、小規模な王朝は数多くあっても、長期にわたって広域を支配した王朝があったわけではありません。ヨーロッパから見ても、アラブの中心である東アラブ地域から見ても、アルジェリアは一種の「田舎」であり、都市の文明を吸収し、輸入し続ける「郊外」と見なされるのです。

近代が残したもの
現在の私の研究テーマは、アルジェリア・ウラマー協会(1931-57)の政治思想と運動です。ウラマー協会は、植民地時代に存在した文化・社会・政治運動のうち、イスラーム主義の潮流を代表しています。私の研究は、アルジェリアの歴史と文化について今まで述べたことと深く関わっています。なぜならウラマーこそは、歴史なき地域と思われていたアルジェリア史を1930年代に最初に編纂し、断絶しかけていたアラブ諸国との知的交流を再興させ、「アルジェリア人とは何か」を問い続けた人たちだったからです。彼らが推し進めたのは、フランスからの政治的独立を目指す革命運動ではなく、アルジェリアのアラブ性、イスラーム性の肯定と歴史認識の探求を通した、アルジェリア人の「真の自己」の回復でした。ウラマーたちの知的・社会的探求は、ナショナリズムの前段階(民族意識の形成)と位置づけられることもありますが、この地域が近代によって被った、前近代的なものとの政治・経済・文化的な断絶/接続の問題に合流しています。アルジェリア人の「真の自己」をどこに求めるかという問いは、イスラーム的な正統性の欠如を理由に、政府批判が繰り広げられた80-90年代のイスラーム主義運動とも、深いところで問題を共有しているものです。

博士論文においては、ウラマー協会の政治思想を、宗教と言語・文化、共通の歴史的記憶に基づく共同体(アルジェリア・ムスリムのウンマ)の復興と防衛と位置づけた上で、そのアラビア語教育運動、青年運動、産業資本家たちの関わりといった実社会での運動の展開を追っていきます。もう一つの大きなテーマである歴史認識については、アルジェリアの歴史教科書の翻訳の仕事を通じて検討していく予定です。

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