【旅日記】大学の瞳 Cornell University
ニューヨーク市から長距離バスに乗り北に5時間、小さな田舎町イサカへと向かった。コーネル大学での2つの催事のためである。
コーネル大学は南北戦争終結後の1865年に、上院議員エズラ・コーネルが自身の広大な農地と私財を寄付し、アンドリュー・D・ホワイトが初代学長を引き受けることで創設された。「誰でも何でも学ぶことのできる学校」を創立理念として掲げたこの大学では、実際、伝統的なリベラル・アーツ教育から、技術者養成、農業、獣医、ホテル経営学に至るまで多種多様な教育プログラムが整備されてきた。1870年に女子学生の入学を始めているコーネル大学はいわゆる「アイビー・リーグ」のなかではもっとも早い男女共学の学校である。町を一望できる小高い丘上にある3k㎡の実に広大なキャンパスで、現在、約2万人の学生が学んでいる(イサカ市の人口は3万人)。コーネル大学は原則的に私立大学だが、理系の実学設置を支援するために連邦政府所有の土地を州政府に供与するモリル・ランドグラント法が一部の学科には適用されているため、半官半民のユニークな大学である。
(サッカー競技場ほどのどうしようもなく広い中庭を休み時間に移動するのは良い運動)
まず、9月7日、東アジア研究科で発表「民主主義の名を救う――丸山眞男」をおこなった(司会:樹本健)。丸山を脱構築するのではなく、デリダと丸山の民主主義論を近接させて読むという趣旨である。15名ほどの聴衆からの質疑応答では有益なコメントをたくさんいただいた。
酒井直樹氏からは「丸山のナショナリズムにはレイシズムや帝国主義がつきまとう。戦後、この理論的な枠組みを歴史的文脈で問わなかった点で、丸山は否定的な事例では?」、平野克哉氏からは「新自由主義を克服するために民主主義を持ち出すことの妥当性とは?その際に、丸山の民主主義論はどの程度具体的に有効か?」、樹本健氏からは「国民主義と民主主義という軸だけでなく、丸山には自由主義の軸もある。三者の関係性に注目して読むべきではないか?」、ヴィクター・コシュマン氏からは「民主主義の名の曖昧さとは民主主義の本質とどう関係するのか?」、ブレット・ド・バリー氏からは、「民主主義の名の決定不可能性による理論と実践が相対主義に陥らないためには?」といった質問をいただいた。
(コーネル大学の人文系大学院生には年間2万2千ドル〔200万円〕の奨学金が支払われる。1年目は専門領域の基礎を固め、2-4年目は週1コマの授業負担、最終5年目は博論執筆に専念する。ただ学科によっては、申請すれば7年目まで同種の待遇が延長されることもあるようだ。学会参加などのための旅費補助は650ドルを年1回申請することができる。)
空き時間には友人が担当するフランス語の授業を聴講したり、デリダに関するゼミに参加して、まるで一学生のようにキャンパスで充実した時間を過ごした。ダイアン・ルーベンシュタイン(Diane S. Rubenstein)氏が担当するこのゼミは、興味深いことに、ホテル経営学科のプログラムの一環でデリダの「歓待(hospitality)」概念を論じるものである。食物、住居、労働をめぐる歓待の思想を議論するゼミで、ホテル経営学の学生がどんな風にデリダ哲学を読み解くのか、非常に興味をそそられた(コーネル大学のホテル経営学科の卒業生の多くが世界の一流ホテルで活躍している)。その固有名を知らないまま、言語を共有しないまま、いかにして他者を無条件的に歓待するのか、というデリダの主張にはみな戸惑いを見せていた。私は「歓待される客人の側の倫理はどのようなものか」と問うてみた。「主人に対して危害を及ぼさないという治安の遵守では…」という返答が返ってきた。
(Andrew D. White House)
翌9月8日、映画「哲学への権利」の上映・討論会が、Andrew D. White HouseのGuerlac Roomで実施された。初代学長の名前を冠したこの豪奢な建物のこの部屋では、人文科学系の大規模な催事がつねにおこなわれるそうである。蓋を開けてみると、80名以上が詰めかけ、廊下まで人が溢れて立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。とりわけ嬉しかったのは、学部生から重鎮の教師まで異なる学科の人々が集ってくれたことだった。
討論会では、フランス科の注目の若手ロラン・デュブリル氏とブルーノ・ボステル氏に相手をしていただいた。手厳しい気鋭の論客で知られる彼らのコメントは批判的なもので、会場は容赦のない真剣勝負の張り詰めた雰囲気になった。ボステル氏は「映画ではデリダの言う領域交差(intersection)とカルチュラルスタディーズの学際性が明瞭に対比されているが、短絡的ではないか。少なくともアメリカでデリダ思想が受け入れられたのは後者の学際性のおかげである。コレージュで教師が無報酬で教えているのは、他に定職があり収入があるからであって、無償性の原則がもたらす自由といっても、それはこの依存の構造によるものにすぎないのではないか」と問うた。デュブリル氏は、国際哲学コレージュの人員構成や授業の方法を社会学的に分析した後、大学の外に新しい研究教育機関を創設したと言っても、結局、大学の外に大学のミニチュア的権力構造を再生産しただけである、と映画の内容を一蹴した。
また、会場のジョナサン・カラー氏からは、「誰もがコレージュのディレクターに応募できるというが、選抜は適切に機能しているのか?」、ドミニク・ラカプラ氏からは「真の学際性を目指すならば、哲学にこだわっていてはやはりダメで、交差する他の学問分野の内部からも同時に学際的な可能性を見出す必要があるのでは?」といったコメントをいただいた。最後に、ルーベンシュタイン氏が「コレージュの実態に手厳しい批判を加えることは容易いが、しかし、その試みや方向性はフランスの伝統的で保守的な学術制度においてはやはり貴重なものである」と肯定的に流れを締めくくった。
1983年4月、ジャック・デリダはコーネル大学で、講演「根拠律――その被後見者の瞳に映る大学」(日本語訳は『他者の言語』所収)を、やはりこのAndrew D. White Houseでおこなった。国際哲学コレージュの創設を半年後(10月)に控えていることにも言及しながら、デリダはコーネル大学の景観やその周辺の地形と絡めて大学論を講じた。
(創設者エズラ・コーネル)
知識に対して眼を開くことが人間が理性的な動物へと移行する第一歩だとすれば、瞳、視野、眺望、展望といった問いはまさに理性の根本をなす。大学はこうした理性の制度化であるが、では、「大学からの眺望とは何か(What is the view from the University?)」とデリダは問いかけ、コーネル大学の歴史を紐解く。
創設者エズラ・コーネルは理事会役員たちを連れてイサカ市の丘の上に登り、「この眺望とともに新たな大学を創設する」と説明したという。ここには、若者が教養を身につけ、生き生きした瞳で高みから世俗世界を見下ろすというロマン主義的崇高さが感じられる。そこでデリダは同時に、コーネル大学の別の地形的特徴にも触れる。この周辺は渓谷地帯であり、大学は渓谷にかかるいくつかの橋で町と結ばれているのだ。
(コーネル大学周辺の渓谷。学生の投身自殺も少なくないという。)
渓谷の風景がもたらす深淵の問いを喚起しつつ、デリダはライプニッツとハイデガーの根拠律を論じ、理性が理性自身を基礎づけるという循環のなかには実はこうした深淵が介在しているとする。社会を眺望する大学の理性の瞳はこうした無の深淵を宿すのであり、生と死の狭間で、開放と閉鎖のあいだで大学の問いをいかに考察するべきだろうか。世俗社会から隔離された理性の「孤独と自由」の眺望がフンボルト的な近代の大学理念だとすれば、デリダの方は、理性がつねにその無根拠性に曝され、脱構築的な運動をおこなう大学の瞳を強調するのである。
今日、大学の瞳とは何か、大学からの眺望とは何か――コーネル大学での3日間の、しかし、あまりにも濃密な滞在を終えて、終盤の上映会に向けて、再びニューヨーク市へと旅立つ。
※コーネル大学での2つの催事を主催していただいた東アジア研究科とフランス科のみなさんに謝意を表したい。とりわけ、樹本健氏とMaria Fernanda Negrete氏の支援には心から感謝する次第である。
(文責:西山雄二)